tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

書評・人名辞典

tokyokid2007-12-17

書評・人名辞典
(1) コンサイス日本人名辞典・三省堂(監修者・上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰
(2) コンサイス外国人名辞典・三省堂(監修者・相田重夫、荒井信一、板垣雄三、岡倉古志郎、岡部広治、土井正興、野沢豊)

【人名辞典とは】
 歴史上の著名な人物を、日本人名の場合は約1万4千、外国人名の場合は約1万8千人分を収録してある。まだ物故していない人や、実在しない架空・伝承上の著名人物も含まれる。両書ともに、「コンサイス」と銘打つコンパクトな「A5版」の大きさで、英和辞典などにも同じ大きさのものがあり、取扱い便利な手頃なサイズである。両書の初版が刊行されたのは、一九七六年のことであったが、当書評の底本としたのは、日本人名版が一九九六年発行の第3版第3刷、外国人名版が一九九九年発行の第3版第1刷である。
【あるべきよう】
 人名辞典は、使用者が全時代に渉り、かつ広範囲に渉る人物像を知るためのデータが掲載されているものでなければならない。それは政治・経済・社会・学問・宗教・文学・芸術・スポーツなど各分野に渉るもので、さらに中央だけでなく地方の人も網羅されていなければならない。つまり普遍的に有名な人名ばかりでなく、局限的な意味であっても予想される多様な読者に参照されるであろうところの人名もなるべく多く収録してあることが望ましい。
【使ってみれば】 
 日本人名版の場合、「卑弥呼」からはじまって、たとえば(卑弥呼に近接して収録されてある)明治39年(一九〇六)生れ、平成5年(一九九三)没の住友金属株式会社の社長であった「日向方斎」など近・現代の人まで広く収録してある。さらに巻末の「付録」には「7世紀後半の官職表」「中世正史姓氏要覧」「近代の外国人」がつく。その上に「画引きの漢字索引」がついて、まことに使い勝手よろしく出来ている。外国人名版は巻末に「索引」がついているだけだが、人名辞典としての使い勝手はよく、読者にとって必要にして充分の配慮がなされている、ということができる。いまこの両書は、人名辞典の定番として、新聞社などの編集現場で重宝されると聞くが、両書の出来からみて、まことに尤もなことである。
【それはさておき】
 実際に使ってみると、世の移り変わりが実感できるところが面白い。これが「人名辞典」を座右に置いて使う者の醍醐味であろう。明治以降だけをとっても、たとえば政治家の「山本権兵衛」「原敬」「高橋是清」「吉田茂」「石橋湛山」などにくらべると、現在の政治家は揃いも揃ってみな小粒に見える。ある意味で「田中角栄」くらいまでは、つまり戦前の生れである人たちのなかには、まだまだ「自分の意見」を持っていた政治家があった。それがどうだ。いまは「右顧左眄」し、「右往左往」し、「カネと力のあるところに群がり」、果ては「議員になったから、料亭に行ってみたい」などとほざく小者ばかりになってしまった。大なり小なり、税金をチョロまかして自分のフトコロに詰め込もうとする多くのヤカラに至っては、これまた跡を絶たない。最近は夫の職務に便乗して出入り業者に物品やゴルフ接待をせがむ「おねだり妻」と言われる者まででてくる始末である。これは政治家のみならず官僚の世界も同じであることは、世間周知の事実である。世の中がそれだけ細分化され、それだけ汚職し易くなったということだろうか。まずは「汚職には手を染めない」という「品格を伴った自分の意見」が姿を消しただけのことと、評者は思うのだが、読者諸賢はどのようにお考えであろうか。□