tokyokidの書評・論評・日記

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書評・国語辞典

tokyokid2007-09-18

書評・国語辞典
1) 国語辞典・第二版小型版・三省堂(編者代表・金田一京助
2) 国語辞典・新版大活字版・旺文社(編者・守随憲治、今泉忠義松村明
3) 広辞苑・第三版机上版・岩波書店新村出編)

【国語辞典とは】
 国語つまり日本語の辞書として、もっとも一般的に使われるのが「国語辞典」であろう。ここでは小型、中型、大型の上記3種類を取り上げる。
【あるべきよう】
 国語辞典としての「あるべきよう」は、まず言葉に正確であらねばならない。語彙も豊富でなくては辞書の意味をなさない。できれば一冊で百科事典を兼ねるくらいの辞典が望ましいのであるが、それは時と場合と、さらに使用目的にもよるであろう。さらに紙質、製本、活字の種類や大きさ、編集方針などの点で、使い勝手のいい辞典が望まれる。当然あらゆる辞典はそれぞれ特定の使用者(たとえば学生、一般社会人、学者など言葉の専門職等)を想定して作られるのが普通であろうから、その使用者にとって、これらの点で「使い勝手」のいい辞典であらねばならない。肝腎の語彙の解説については、外来語を含めて対象となる語彙の選択から始まり、出典、語法、語源、用法やさらには故事、慣用などを分りやすく説明してあるのが望ましい。学生などの初心者用としては「80点主義」による編集方針でも差し支えないと思うが、国語に造詣の深い人を対象とする辞典に於ては、あらゆる意味で「広く、同時に深く」編集されている必要がある。百科辞典を兼ねるくらい、というはその点を指す。
【使ってみれば】 
1)は学生用である。見出しは6万2千。小学校6年用とことわってあるから、いわば義務教育用であろう。内容は要領よくまとまっており、使い方の説明部分を除けば、この辞典は辞書部分のほかには「動詞活用表」「ローマ字のつづり方」ほかいくつかの簡単な付表しかついていない。義務教育用に徹底した分、簡単で誰にでも分りやすく編集されており、使いやすい。
2)は一般社会人用である。7万6千語を収録。副題に「パーソナル版」と銘打つだけあって、辞書部分以外の付表が充実している。「漢字の成り立ち」「平かな・片かなの成り立ち」「国名・都道府県名対照図」など表紙裏を使っての付表や、巻末の付録が「国語表記の基準」「敬語の使い方」「日本語の発音とアクセント」「国文法要覧」「季語集」「手紙の書き方」「世界文化史年表」「方位・時刻表・干支順位表」「年中行事一覧」「数量呼称一覧」「度量衡表」「漢字部首名称一覧」「筆順つき漢字音訓表」「故事・ことわざ索引」「和歌・俳句索引」に至るまで、実用的にはこの一冊で間に合わせられるような編集が特徴である。これ一冊あれば、国語辞典としてよりほかの、日用百科事典ふうにも使えるのが忙しい企業人などにとっては便利であろう。
3)は我が国最大の国語辞典の一種とされる大辞典である。総項目20万余と謳う。古語、現代語、漢語、外来語、民俗語、方言、慣用句からスポーツ用語や社会的事件に至るまでの術後・事項を再録、とあるから、これはもう一種の百科事典でもある。付録は「国文法概要」「活用表」「仮名づかいについて」「送り仮名について」「常用漢字・音訓・送り仮名表」「人名漢字一覧」「漢字音訓一覧」「ローマ字のつづり方」「西暦・和暦対照表」と、付録までもわき見せず、国語一辺倒の編集であることがわかる。要所に挿絵も配されて、分りやすさにも配慮されている。学者から作家から、日本語に親しむ人たちの愛用の辞書として名高い。現在は「第五版」の時代である。
【それはさておき】
 最近の日本語の乱れをみていると、これらの国語辞典の必要性は高まりこそすれ、弱まることはないように思われるのだが、実際はパソコンやケータイの普及によって、紙の辞書の需要は減退一途であるとか。たしかにこれら機械の「漢字変換機能」を使えば、たちどころに「かな」から「漢字」に変換されて便利この上ないことは事実だが、でもこの機能では、言葉の意味まで教えてくれるわけではない。ちょっと読んでそれで意味も分った気になって、そこで言葉の誤用がまかり通ることもあるだろう。とくに熟語の世界では、いままでの常識が通らなくなってきた。「情は人の為ならず」「役不足」などの意味を問うても、正解率は3分の1以下という結果が出たアンケートもあった。評者自身も先日大学生3名に「はばかり」の意味を問うたが、誰も答えられなかった。唯一そのうちの女子大生が「憚るという言葉と関係があるのですか?」と訊いてきたのが唯一の反応であった。これだけでもその女子大生を褒めてやらねばならない時代となった(はばかりは便所のこと)。論旨は別として、いままでは日本語の日常文書の書き方の見本であった全国紙の新聞の記事も、誤字・当て字の多いだいぶ怪しい文章が並ぶようになってきた。評者はこのように日本語が衰退した一因は、たった2千字の常用漢字の制限にあると思う。人名用漢字1千を足しても、3千字ではどうにもなるまい。国語審議会(というのがいまでもあるのかどうか知らないが、日本語を所管する文部科学省)は早急に常用漢字数を、少なくとも倍の4千字に引き上げる必要があるだろう。漱石、鴎外ほかの戦前の著作が読まれなくなったのは、総ルビが廃されて、それでいまの常用漢字世代はそれらの著作が読めなくなったのが大きな原因ではないか。近いうちに日本語は大変革を遂げると思われる。だがその変革の方向は、水が低きに流れるが如く、過去の日本語の蓄積を無視した、無節操な外来語や本来仲間内だけに通用する略語を乱用した、低きを目指した「いかがわしい国語」となるだろう。□