tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

書評・交換日記

tokyokid2007-06-14

書評・★交換日記(平成十九年《二〇〇七》睦月)

【前口上】
 君子の交わりは淡きこと水の如し。先人はこのように言っていたと記憶する。古稀を過ぎた評者は、先輩に当る方を友人として遠方に持っていて、君子の交わりをお願いしている。現代は電子メールという便利な道具があるので、文書の交換もごく手軽に済ませることができる。いつもの書評とは異なり、自作自演の「書評」ではあるが、今回に限り評者の日常生活の一端を披露してみたい。

【まず「交換日記」本文】
★当方からメール発信
秋川不悟郎さま、江戸夏菓子です。
いつも私の「書評」ブログに書き込みをいただいて、有難うございます。
VHSテープ一本と、文庫本3冊、近日中に郵送しておきますから、ご査収ください。本は「道草・夏目漱石」「三四郎夏目漱石」「頭文字・三島由紀夫」です。
お読みになった本ばかりでしょうが、古い本をみつけましたので差し上げます。(ご返送いただく必要はありません)
それではよろしく。

★先方からの返信
江戸夏菓子様
          デンヴァーの秋川不悟郎です。
本日、正午ごろ郵便物が届きました。ありがとうございました。
なんと、私には貴重なる二冊(漱石の〔道草〕と三島の〔頭文字〕ほか5つの短編)です。
それから、『三四郎』も嬉しい。VHSも楽しい記録映画です。
なぜ私には、宝のごとき珍本?
私が、日本語や日本歴史の本をしっかり読み始めたのは米国にきてからです。
漢字検定試験1級に挑戦したり、大阪文学学校に通信教育生となり、下手でも、ものを書けるようになったのも米国文化と日本文化の違いという刺激が大きかったからです。
また、英語を専攻するより、余生を充実するには生まれも育ちも日本の東京、下町だと小悟しました。 
日米社会は、新聞、雑誌にいたるまで、新仮名づかい、常用漢字によるもの。
明治、大正の文豪作品も、出版社は、旧漢字、旧仮名遣いを、近代日本語に修正して発刊していました。
余談ですが、1980年ごろまで、ハワイ州の日系新聞社は日本本土のGHQ政策に従わず、旧漢字、旧仮名遣いでした。
私はロサンジェルスで、ハワイで働く戦後一世の友人から日系新聞を転送していただき、ハワイ二世の文化的気骨に驚きました。日本を離れた日系米人の方が、歴史文化を尊重する日本人らしいと感動したものです。
それも、やはり読者世代交代の荒波は、一世二世の文学的気骨も崩さずにはおきませんでしたね……
ラフ新報も、似たような道程を歩んでいますな〜
私の中学2年3学期までは国語漢字は旧漢字でした。仮名遣いも旧です。ろくに学んではいませんが、『草枕』は印象に残っています。
現在、読み返している『草枕』や有名な作品は、全部、GHQ政策の国語教育方針に追従しています。
本日、戴いた二冊を開きました。数行読んで……驚愕、歓喜、気分は昂揚してしまいました。
やはり、書かれた時代は、時代の背景を忠実に染み込ませていますな〜
GHQと日教組の方針に沿った国語教育を受けた方々(文学部専攻で漢検1級を身につけた人や日本語の歴史を尊重し新旧文体を理解しようとする人物は別として)には、この喜びは理解できないと思います。
また、能の世界、謡曲読本の文章は、旧体で、文語文の韻文ですから、その日本語の美しさ、奥の深さを味わっているとおもいます。 俳句、古川柳、狂歌なども旧文体ですな〜
こういった日本文化を受け継ぐ青壮年が、少なくなっています。悲しいですな〜
ともあれ、本日、受け取った二冊を読む楽しさは格別です。じっくりと、旧漢字、旧仮名遣いも復習しながら、精読、熟読するつもりです。
今在る生涯の座右の本(世界の偉大哲人、賢人などの)と並べて埃も被ることもないでしょう……大袈裟ですが、そう感じます。
角川、新潮社を筆頭に昭和39年ごろから、購買読者層の世代交代時期なのか、ときの文部省の指示なのか私には解りませんが……こういった貴重な本は、どんどん姿を消しましたな〜
このたぐいの書籍は日本各地の図書館では、大切に保存しているでしょうか?
まさか、破棄処分などにしては……
やはり、日本社会、青少年の心理などの荒廃は、日本文化の衰退と深く関係していると思います。
述べるまでもなく、漢字体の簡素化や日常会話の欧米型追従、カタカナ、浅薄な流行語を生んだ要素は、日本語簡素化戦後混乱期に便乗した政策の結果と思います。
平和憲法、とくに第九条という理想を旗印として戦争無期放棄宣言は結構。また、言論の自由は貴重だが権利と義務、道徳などの意識を軽く思考させ、物質文明、拝金主義に流されやすい青壮年を育てたのも日本語簡素化の因果と私は思っています。これでは、憲法九条を守ることが出来ません。
物質文明、便利追求、個人の享楽優先の社会、国家を作るには、経済原理に政治は流され富国強兵政策の国家群の政策に巻き込まれてしまいます。約60年、戦火が日本本土に散らなかったのは奇跡といえますな〜
江戸夏菓子様の理想追求は、河北新報の加藤さま(仮名)も、同じように叫んでいます。しかし、独り独りが、今の便利を破棄し、LOHASな暮らしに徹することが出来るでしょうか?
私は、数年前、日本人が自衛隊も解散させ、清貧国家になるには、まず、各人が作家の中島敦が描いた「わが西遊記」の三蔵法師のようにならなければ、無理だとなにかに書いたことがあります。
また、私は2004年度にラフ新報の「ポエムサロン」で「自由詩 ミミズ」を発表しました。
年間大賞をいただきました。それは、敬虔なクリスチャンであるサロン主宰氏の理想と一致したからだと思います。
恥ずかしいことで、人間の弱さから逃れられない私自身、「ミミズ」の詩には、申しわけないと感じる毎日です。
GHQは見事に日本文化を破壊させ、日本を「根無し草擬似国家」にさせていますね……
戦後混乱期に日本政府、文部省を懐柔、引率した60年前の米国ブレインの面々も、予想した以上の結果に彼等の天国で、ほくそえんでいるような気がしてなりません。
(政治的猜疑心。日系米国人が吐く言葉ではありませんな〜御容赦)
ついつい、頭脳老弱に刻々変化しているのか、独断偏見、きままな屁理屈を長々書いてすみません。
では、またの機会を楽しみにしております。ご健康維持には、ゆめゆめ留意を怠らないようにと…祈っています。      
秋川不悟郎 拝

★上記に対する当方からのコメント
秋川不悟郎さま、江戸夏菓子です。
さっそくご連絡を有難うございました。
漱石の文庫本は、私は全集を持っているので、昔からもっている文庫本のほうは、差し上げてもいいと思っておりました。古い本ですが、秋川不悟郎さんに喜んでいただけてよかったです。(ただし全集のほうは、新かなです)
三島のものは、「潮騒」しか読んだことがありません。
あの本は、偶然さる方角からいただいたものなので、秋川不悟郎さんならお読みになるだろうと思って、入れておきました。封筒の厚さを、テープと本でバランスを取る関係上、文庫本3冊しか入れられなくて、申し訳ありません。
旧かなと新かなの問題については、書評の「坊ちゃん」のところで論じましたから、ここでは繰り返しません。でもいまの日本人は、自分の国語を忘れ果てております。自国の文化を尊重しない民族が、栄えたためしはないと思います。
話し言葉でも同じことで、いま日本のテレビ・ニュース(フジサンケイ)を見ていると、アナウンサーがしきりに「・・・・・しているんです」を連発します。この表現は、強調の表現で、のべつ幕なしにこれを聞かされているほうは、疲れてしまう、ということに今の人は気が付いていません。日本の国語が日本の国民から軽視されて久しい、と申すゆえんです。(平叙法なら、・・・・・しております・・・・・でしょう)。
またVHSのテープは、秋川不悟郎さんが私の書評の「てんとう虫」に、NHKプロジェクトXで取り上げればいい、と言ってくださったので、手許の日本から送ってもらったものをダビングしただけのことです。
喜んでいただけて、幸いです。
秋川不悟郎さんの青年時代は、日本の歴史のなかでも珍しい、大変な時代でした。5歳ほど下の私の時代のほうが、まだしも世の中が落ち着きかけていたと思われます。でも秋川不悟郎さんは、ひるむことなく自己研鑽を積んでこられました。ややもすれば、水が低きに流れるように、安易な方向に流れるのが人間の常で、弱さです。それなのにご自分を叱咤激励なさりながら、長い人生をがんばってこられたのですから、ご立派のひとことに尽きます。
そういう秋川不悟郎さんですから、当然私は尊敬しております。こうしてお付き合いさせていただけて、本当に嬉しいことです。
ま、お互いに後の人生のほうが、前の人生よりも短いことがほぼ確実な年齢となりました。おっしゃるように、健康にだけは気をつけて、間違っても寝たきりにはならないようにして、過ごしてまいりましょう。ではまた。

★《別便にて追加文到着》
江戸夏菓子様
    デンヴァーの秋川不悟郎です。
…送付された書籍謝礼に便乗して、雑談を楽しみました。
つきましては、私の心情は「自由詩」というものの便利さを借用して発露しました。
追記として、くどいようですが、ここに載せます。

第25回 ポエムサロン  

み み ず

                        雲 海月
みみずは弱い生きものだ
ときおり夕焼けを仰げば
すぐ小鳥に食われてしまう
地表も地中と同じと信じてる
我が身を守る武器もない
およそ戦うことを知らない

こんなみみずに
私は なぜ惹かれるのか
かれらは地球における
自分の弱さ立場を知っている
溶岩で仲間は焼かれても
氷河に冬眠させられても
洪水でながされても
世界中の大地に住みついて
太古から
進化もせず退化もしない

人と野獣が撒いた汚物ほど
嬉々として繁殖し 
腐敗を浄化し新生源をつくる
耕作で切断されてしまう
抵抗もせず 逃げもしない
この弱さにかくれたこの強さ
黙々と復活する
これは いったい
なんだろう

いま いま いま 
これほどすごい希望を
わたしは
ほかのものから
見いだすことができない
《以上が追加文全文》
 
★追加文に対する当方からのコメント
秋川不悟郎さま、江戸夏菓子です。
追記を有難うございました。
羅府新報を購読していながら、私は歌心がないので、詩の欄はいつも読み飛ばしております。それで秋川不悟郎さんの入賞も知りませんでした。お許しください。
そして遅まきながら、ご入賞おめでとうございました。
みみずによって、今の日本人とその社会を活写して余りがないと思います。
「みみず」は、たとえば「来世」を論じるときに、私も「それではみみずにも墓はあるのだろうか?」という形で、人間と比較したりします。(私は無神論者で、というより、信じている人にしか神さまは存在しないと考えていることによって無神論者を自称しているだけで、来世など信じておりません)
みみずでなくても、ねずみでも兎でもいいのですが、お互いに「みみず」になってしまうのは、どうしたわけでしょう?
いい詩を有難うございました。ではまた。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
★世に立つは苦しかりけり腰屏風曲りなりには折りかがめども(唐衣橘州)
いみじくも死せる橘州生けるわが腰痛を諷して詠める・・・江戸夏菓子選。
私のブログは http://d.hatena.ne.jp/tokyokid/ です。お試しください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

【あらすじ】
 日記の筋は簡単なもので、ビデオテープと文庫本を送った通知に対する礼状その他コメントのやりとりである。
【読みどころ】
 淡きこと水の如し、ということが、淡々としたメールの内容と文章に表れている。余計な忖度もなければ修飾もない。無駄な強調も押し付けがましさもなければ、繰り返しの念押しもしない。過度の敬語もなければ、無用のへりくだりもない。昨今ともすれば目にしなくなった、あまりカタカナ語を交えない、読み手に悪感情を持たせない本来の平易な日本語文章がここにある。
【ひとこと】
 送られた本が旧かなで書かれたものか新かなで書かれてものかなどは、いまの若い人にとっては問題にするまでもなかろう。戦後たった二千字の常用漢字が制定されて、日本語に漢籍の知識は必要なくなったからだ。なによりの証拠は、日本の公立高校から「漢文」の授業がなくなったことである。戦後の日本語は、学ぶのも使うのも、ごく簡単になった。その代り、日本人は戦前まで持っていた日本語の豊富な語彙と、文章の厚みを失って久しい。そのことの懐旧談にふける老人は、いまどきの現代人からみればもはや化石人間なのであろう。
【それはさておき】
 いまの日本では、新聞記事にさえ外来語(とくに英語)のカナ表記の言葉が並ぶが、面白いことにこの交換日記には、外来語はほとんど出てこない。もちろんアメリカに住んでいる日本人は、誰でもある程度は英語に堪能なのである。堪能といって悪ければ、アメリカで生活していくには不便を感じないほどの米会話のレベルにある、と言ってもいい。それなのに、いわば日常生活において日米両語を操るのが常態であるふたりが書く日本語では、外来語のカナ表記をほとんど使わない、というのも面白い話ではないか。
 とはいうものの、文中に「LOHASな暮らし云々・・」という外来語があるが、これは「Lifestyle of Health and Sustainability」のことである。「健康で長生きする生活様式」という意味であろうが、一般には馴染みがない言葉かも知れない。もちろん秋川不悟郎氏の生活信条である。
 なお、評者が小学校三年生(当時は国民学校)のときに、本書評でも取り上げた「海軍主計大尉小泉信吉」の著者・慶応義塾長・小泉信三に、昭和十九年(一九四四)四月五日付で発行してもらった写真つき「身分證明書」を、本の表紙代わりに掲示しておく。小学生の身分証明書というのも珍しいが、この頃はアメリカ軍による東京への空襲があった後で、事故があった場合の一種の「認識票」として慶応義塾幼稚舎が発行したものと思われる。当時の戦時下の生活を偲ばせる証拠物件である。□