tokyokidの書評・論評・日記

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書評・ボクラ少国民と戦争応援歌

tokyokid2007-05-21

書評・★ボクラ少国民と戦争応援歌(山中恒著)朝日文庫

【あらすじ】
 山本有三の詩に「心に太陽を持て」というのがある。「唇に歌を持て」と続く。読んだ文章をたやすく忘れてしまうことがあっても、人はいちど覚えた歌をそう簡単に忘れはしない。とくに子どものときに覚えた歌はそうだ。戦中派の人なら、「紀元二千六百年」「満州行進曲」「復仇賦」「加藤隼戦闘隊」など戦時中の歌をいまだにそらんじておられる方も多いに違いない。本書には、戦中派が子どものころに国家から叩き込まれた「戦争応援歌」が、これでもか、というほど盛り込んである。時代考証もたしかだ。
 日本建国以来の敗戦を喫した第二次世界大戦(太平洋戦争)のとき、当時の子どもたちがどのような音楽教育を受けていたかがわかる本が本書である。この戦争は昭和十六年(一九四一)十二月八日に始まり、日本の敗戦で昭和二十年(一九四五)八月十五日に終ったわけだが、前段として昭和初期のころからのこの問題に関する世の中の動きにも目を配ってある。当時の(使用を強制された)用語でいえば、「小国民」ではなくて「少国民」であり、「小学校」ではなくて「国民学校」であった。その時代に、お上から強制されて当時の少国民、いまでいえば子どもたちが、日常にわたって戦意を鼓舞するためにどんな歌を歌わされたか、その歴史を末尾に無慮28曲の楽譜を付して論じた本というところが、本書の「大」特徴である。楽譜だけではなく、図版も数多く挿入されていて、当時の雰囲気をよく伝えている。
【読みどころ】
 敗戦時に小学校(当時は国民学校)四年生であった評者のこの問題に関する感想を、記憶に頼ってひとことでいえば、「国(天皇)が進める対外戦争のために、お前の命を差し出せ。そのためにこういう犠牲を払った立派な先人が居るんだぞ」という教育(と言えるかどうかは別として)のためだけの、戦意作り・雰囲気作りの強力な一環としての音楽教育であったと思われる。本書にも楽譜が収録されている「三勇士」や、収録されてはいないが当時よく歌われた文部省唱歌「広瀬中佐(これは日露戦争の歌)」の記憶から、そのように言うわけだ。当時の用語でいえば、「戦意高揚の歌」を子どもも歌わされていたのであったことが、本書を読むことによって、戦争を知らない世代にも理解されることと思う。それは「一・昭和初期の子どもをとりまく音楽状況」から始まって、「六・国民学校の音楽教育は死の美を学ぶもの」「七・軍国歌謡の登場とともに敵性音楽の追放」「九・少文協が歌で少国民にしたこと」「十・米英音楽追放撃ちてし止まむ」「十二・歌は過激にエスカレートして」など、各章の見出しを読んだだけで、内容を察することができる。平成のいまは戦争から三世代目の時代であるから、日本が半世紀以上にわたって平和ボケして久しく、すでにまったく忘れられた当時の世相を理解する上での助けになるであろう。
【ひとこと】
 雰囲気というものは恐ろしいものだ。日本の場合は「空気」と言い換えてもいいだろう。(余談ながら、この「空気」という日本特有の一種独特な状態に関しては、山本七平が「空気の研究・文春文庫」という秀逸な本で詳しく論述されているので、併せて読まれることを強くお薦めする。(「空気の研究」は、本書評では取り上げない)。平和ボケが半世紀以上も続いた平成十九年のいまとなっては、当時の空気を実際に吸った人でなければ、本書に取り上げられた事例はことごとく想像を絶することであろう。いつぞや朝日新聞の「声」欄に、戦時中応召した(軍隊に参加することを国家から命令された)個人は、自分の信念に従って応召忌避をすればよかったのだ、そうしなかったのは本人に戦争の意志があったからだ、というたぐいの意見を投書したいまどきの若い人がいたと記憶するが、当時このようなことをすれば、たちまち憲兵が踏み込んできて、死ぬほどの(実際に殺されたケースも全国各地であった)拷問を受けたであろうことは、いまの平和ボケの皆さんはご存じないことなのである。そのような全国民による雰囲気作り(国民的総ヒステリー状態と言い換えてもいい)に多少なりとも寄与したのが、若い年代つまり子どもを対象にした、本書に著述されるところの、少国民向け戦争応援歌なのであった。
【それはさておき】
 歴史は繰り返す。憲法改正論議が高まってきたいま、また日本を、国民全部を巻き込んで、過去の誤った歴史を繰り返す方向にだけは、導きたくないものだ。□