tokyokidの書評・論評・日記

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書評・論語

tokyokid2007-03-29

書評・★論語金谷治訳注)岩波文庫

【あらすじ】
論語」はいうまでもなく中国の春秋時代の思想家・孔子(B.C.五五一~B.C.四七九)の死後、弟子たちがその言行を集録した書。孔子は「礼楽の治」を以って徳治主義を実現しようとした人。日常の生活では「老人には安心され、友人には信じられ、若者には慕われたい」ということを理想にしたといわれる。その孔子の生前の言葉を弟子たちが記録し、集大成したのがこの「論語」である。孔子が言ったことの再録であるから、文章は短文でしかも断片的である。全部で「学而」「為政」など二十篇からなるが、これらの題は単に篇の最初の二字をとったもので、内容を表すものではない。この岩波文庫本では、「原文」「読み下し文」「現代語訳」のほか、注が豊富に付されていて、漢文に疎い人でも容易に読んで理解することができる。
【読みどころ】
 二千年以上前の人の言ったことであるから、なにしろ古いことはたしかである。それがなぜいまでも読まれるのか、そこが古典の不思議なところだ。内容は孔子が日常弟子に話し掛けた内容を記録したものであるが、それが時代を超えて「真なるもの、善なるもの、美なるもの」を表現しているのである。ここに「論語」が古典として永遠の生命を保っている秘密がある。たとえば「子曰、巧言令色、鮮矣仁(学而・三)(原文)」「子曰く、巧言令色は鮮(少)なし仁(読み下し)」「先生は、言葉巧みで容貌がいいだけでは、仁徳が少ないものだよ、と言われた(現代語訳)」など、その後ことわざとして人口に膾炙したものが、論語には多数含まれる。ちなみに平成の今日では俗に「見た目十割」と言われ、内容よりも見た目がよければ世の中に通用しやすいようだが、これは孔子または論語が重用されていた時代からみると、そのように現代人の価値観が変化しただけのことであり、論語孔子当時の価値観が変化したわけではない。つまり時代の流れに従って変化したのは「人の心」なのであり「論語=古典が言う心=真理」ではない。このところを間違えるべきではない。
【ひとこと】
 日本の公立高校でまったく漢文を教えなくなったと聞いてから数年が経つ。もともと中国の漢字を使う日本語では、漢籍(漢文で書かれた書物)を抜きにしては、内容は貧弱にならざるを得ない。江戸時代、学校制度は全員が入学するわけでもなく、建物も小さく、給食もなく、科目もいまのように細分化されてたくさんあったわけではなく、いわば現在よりもはるかに貧弱であったと言えよう。当時はいうところの「寺小屋」で教育を担当していたわけだ。そこでなにを教えたかというと「読み書きそろばん」であった。とくに「読み」においては「素読(意味の理解は後回しにして、文字を追って音読すること)」が主であった。寺子屋は、いまでいえば小学校の低学年くらいのこどもが学ぶところであったから(当時はいまでいう小学校高学年は、すでに労働力としてアテにされる存在であった)、言うならばいまの小学生が(前記の巧言令色の文を引用すると)原文の「子曰、巧言令色、鮮矣仁」とテキストにあれば、「子曰く、巧言令色、鮮(少)なし仁」と読み下すことができたのだ。そのように幼いときに覚えた字句は一生忘れることはないし、成人して大人の話を聞くようになれば、ああ、あのとき寺小屋で教わった論語の一節の意味は「先生は、言葉巧みで容貌がいいだけでは、仁徳が少ないものだよ、と言われた」のだ、と理解することができた。こうして誰でも、門前の小僧になり、習わぬ経を読めるようになったのである。いまはたった二千字の常用漢字と、一千字の人名用漢字だけで、日本語のすべての用を足そうとするものだから、いまの日本人の日本語知識は、江戸時代の漢籍を踏まえた(いまの小学校低学年に当る)寺小屋のこどもたちよりもはるかに劣るようになってしまった。
【それはさておき】
 論語なんて古くさい、読む必要はない、という人がいたら、言いたい。それこそ論語読まずの論語知らず。日本人として恥ずべきことだ。江戸時代の「論語読みの論語知らず」より数等劣る、と。□