tokyokidの書評・論評・日記

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書評・三屋清左衛門残日録

tokyokid2007-03-25

書評・★三屋清左衛門残日録(藤沢周平著)文春文庫

【あらすじ】
 時代小説を多く残した著者の藤沢周平が、この小説の主人公であるところの、前藩主の側用人を務めたことのある三屋清左衛門が隠居して家督を息子に譲ったあとの物語を「日残りて昏るるに未だ遠し・・・」として書いた。中身は読み切りの十五篇から成る。現代にも通用する物語だが、あまりにも理想的であるのが難点といえば難点と言える。ただし理想的な運びの話の連続であるがゆえに、現代の隠居(定年退職者)の読者を夢見心地にしてくれるのも確かなことだ。著者の時代小説としては一、二を争う出来栄えである。
【読みどころ】
 藩から隠居を許されて、毎日登城しなくて済む立場になった三屋清左衛門を襲う「寂寥感」の導入部からして、練達の時代小説である。息子とその嫁、行きつけの料理屋のおかみを配し、またかつての同僚で、いまだに現役の「町奉行」を始め、家老や現在の藩主やその用人などの藩勤めの老若男女をとりまぜた登場人物に、著者は読者を倦きさせない。藩勤めの男女だけではなく、士農工商あらゆる職業の登場人物があり、国元あり江戸詰めあり、剣戟あり陰謀あり、嫉妬あり愛情あり、智者あり愚者あり、成功者あり失敗者あり、離別あり結縁ありで、さまざまな人生模様が隠居の三屋清左衛門をめぐって十五篇それぞれの話のなかで進行してゆく。最初の篇の「醜女」から最後の「早春の光」まで、読者をとらえて離さない良質のエンターテインメントがここにある。当然のごとくに、この作品はかつてNHK のテレビドラマとして仲代達矢の主演で映像化されたが、このほうの出来もなかなかのものであったと記憶する。
【ひとこと】
 日本全体が高齢化していく現代にあって、老いゆく日々の過ぎ越し方は現代人の関心の的といっても言い過ぎではないだろうが、その一つの典型を、著者はすっきりとした時代小説として、われわれに差し出してみせてくれる。これは時代小説の衣をまとった現代小説なのだ。「二〇〇七年問題」で、ことし大量にベビー・ブーマーの定年退職者を生み出したところの、昨今の時代にぴったりな時代小説なのである。現実のサラリーマンの定年退職者は(運がよければ)職場の同僚や上司から祝福されて花束をもらい、年金の支給までにはまだ月日があるにせよ、第二の職場を見つけるか、趣味に生きるかは別として、長年勤めた職場は去らなければならない。多くは二度と旧職場に顔を出すこともなく、それぞれの進路に従って、老いゆく日を送ることになるのだろう。本書は武士の世界を描いていながら、現代のわが身を考えさせるのである。
【それはさておき】
 有名人を含め、サラリーマンの退職者で本書の愛読者は多い。そして内容はといえば、有能な側用人であった主人公の三屋清左衛門と、代替わりしたあとも折に触れて隠居した当の三屋清左衛門を重宝に使う現在の藩主の「理想的」な主従関係が描かれる。これを読んで、サラリーマン生活を終えたのちの生活の指針にしたい、と思う人は多いに違いない。三屋清左衛門の「自分からは望まないが、頼まれればやる」という姿勢に共鳴を覚える人も多いだろう。だが現実は、このような理想的な主従関係というのは(ごくごく僅かの例外を除いては)ほぼ絶対に存在しないに等しいのであり、いま定年退職を迎える人たちは、そのことを百も承知なのである。要するに旧職場から「頼まれる」ことなぞ(これまたほぼ絶対に)ないのである。その落差が、各人各様の人生の来し方・行く末を考えさせて興味は尽きない。□