tokyokidの書評・論評・日記

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書評・「南京事件」の探究

tokyokid2007-03-09

書評・★「南京事件」の探究(北村稔著)文春新書

【あらすじ】
 昭和12年(1937)に始まった日中戦争支那事変)で、同年末日本軍は当時蒋介石率いるところの国民政府の首府・南京を占領する。以後戦後すぐ開かれた東京裁判そのほか戦勝国が戦敗国・日本を裁いた世界各地の軍事法廷で、当時日本軍による「南京大虐殺」があったと断罪され、その犠牲者は無慮三十万人に達するとの説も出て、平成の現在に至るいまでも、中国は日本の戦争責任を追及し、反省をせまる道具立てのひとつとしてこの「南京事件」を折に触れ持ち出すことは周知の事実である。本書の著者・北村稔氏は、この「南京事件」による虐殺の有無を単純に論ずるのではなく、「大虐殺説」がどのように出現したのか、それを実に冷静沈着な学問的態度で、史料と論理を駆使して、その過程を考察する。本書で著者は、「南京大虐殺」に関して「虐殺派」「まぼろし派」「中間派」の存在を明確に意識しながら論ずることも忘れていない。(ちなみにA級戦犯は東京で裁判にかけられたが、BC級戦犯は交戦国で裁判が開かれ、多くの高級・下級将校などが断罪され、死刑となった。当然報復のための処刑も有り得たのであり、いまどきの人権などは、そのような裁判では頭から無視されたことは、これらの裁判の結果だけではなく、戦後のソ連による大量の戦時捕虜のシベリア抑留と強制労働などの事実によって確認される)。
【読みどころ】
 著者・北村稔氏は京大文学部史学科卒。法学博士。専攻は中国近現代史。学者であり、専門も中国近現代史ということで、この「南京事件」を論ずるには恰好の専門家である。その上本書を一読すれば万人の読者が納得されるであろう学究的態度でこの問題を学問の命題を解くように、史料と論理を駆使して解明しようとした典型的な学者の学究的態度でこの問題を研究・著述した。そこでは「虐殺派」「まぼろし派」「中間派」のいずれにも属さない学究的態度のみが強い印象を持って読者に迫る。本書のひとつのハイライトは、この「南京大虐殺」報道に与って力があったと認められる、戦時中の英国マンチェスター・ガーディアン紙特派員ティンパリーが、当時の国民党中央宣伝部のいわば「雇員」であったことを解明したくだりであろう。別項の「南京事件を確定した三種類の証拠資料」や「証拠資料をめぐる諸問題」などとともに、この事件がどのように時間的かつ人間関係的な経過を経て虐殺説が形成されていったかなどの客観的事実を持つ国際事件であったのか、そしていまでもあるのかが、冷静に明らかにされていく。
【ひとこと】
南京大虐殺」によって殺された当時の南京市民の数が三十万人という説を問題とするならば、三十万人の虐殺があったかなかったかの一考察として、大量の死者を出した関東大震災東京大空襲、原爆犠牲者数などを引き合いに出さないわけにはいかない。大正12年(一九二三)の関東大震災の死者は九万人、昭和二十年(一九四五)三月の東京大空襲による死者は七万二千人、同じく敗戦直前の八月の原爆による広島の死者は即死八万人、その後の死亡者数を加えると十数万人といわれている。地震もなく、爆弾や焼夷弾も大規模には用いず、ましてや原子爆弾も使わないで(ということはせいぜい銃と刀剣だけの従来型武器だけでの)人力による虐殺行為で、三十万人を殺せるものかどうか、これは史料や論理以前の、いわば常識以前の感性の問題として「ノー」であろう。あるというなら、万人の納得し得る証拠を出してもらわねばなるまい。
【それはさておき】
 じつは評者に本書を薦めてくれたのは、年代からいうと、評者の娘くらいの年齢に当る若い女性であった。彼女は聡明であり茶道や料理を趣味とする、いまどきの日本にごくありふれた女性なのだが、読書も好きで、歴史にも興味があり、好奇心に富んだ人ということができる。こういう若い人が、歴史認識をおろそかにせず、本書のような本を読むことによって真実を追求する態度を保つと知って、評者は悲観論一辺倒の日本国の将来についての希望をわずかにでも繋ぐものである。でも「情報操作」の拙劣さ加減において、交戦中から外国紙特派員を雇ってまで情報操作に励んだ、戦時中の日本人および日本の軍部がバカにしてやまなかった蒋介石の国民党中央宣伝部のほうが、戦後になって戦果のウソばかりついていたことが暴露された日本の「大本営」よりもよほど「いい仕事」をしていたのだ。これは「輜重輸卒(しちょうゆそつ・実際に戦闘が展開される戦地・戦線に対して後方の物資輸送を担当・支援する部隊)が兵隊ならば、ちょうちょ・とんぼも鳥のうち」といって実戦部隊に対する支援部隊(活動)をバカにした日本人の体質が染み付いてしまっている事実を暴露して遺憾がない。このことは、二一世紀の現在でも、政府広報・外務省報道などにみる、いまだに同じ轍を踏んで、情報活動・広報活動を軽視している事例を挙げるのに苦労はいらないのである。そして日本の国益は、これらの(高給を食みながら)無能の役人の仕事によって、どんどんとそこなわれていく。「三十万人にのぼる南京大虐殺説」についていえば、これは「勝者の側からみた歴史(捏造)」の典型例ではないのか。□