tokyokidの書評・論評・日記

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書評・セーラが町にやってきた

tokyokid2006-12-30

書評・★セーラが町にやってきた(清野由美著)プレジデント社

【あらすじ】
 一九九八年の長野冬季オリンピックが開催された頃の話である。アメリカ・ペンシルバニア州出身の若いアメリカ人女性、セーラ・マリ・カミングスが、典型的かつ保守的な日本の地方都市、長野県の小布施町にやってきて、創業二百五十年の造り酒屋を再建し、さらに小布施町の町ぐるみルネッサンスを手掛けて成功させた、という一連のお話。
【読みどころ】
 一九六八年生れの若い金髪セーラが、どのようにして小布施町の老舗の旦那衆を説き伏せ、まず経営が危機に瀕していた「造り酒屋」の再建を成し遂げ、さらには「長野オリンピック」をテコにして、町ぐるみで小布施町を活性化させたか、その事跡をたどったノンフィクション。とくに「古きよき時代の日本を残したい」の彼女の一念で、採算面の理由から、ずっと以前に日本の酒造業界から採用されなくなって久しい、手間と時間はかかるがうまい酒を醸すことのできる日本酒本来の本格的醸造法であるところの「本桶仕込み」を復活させる場面が圧巻。また彼女がどうやって長野市からさらに地方電鉄に乗り換えて35分ばかりかかる、決して地の利を得ているとはいえない「小布施町」を世界に売り込んでいったか、それも圧巻。
【ひとこと】
 小布施町におけるセーラの活躍ぶりとその実績を認めるにやぶさかではない。しかしどうして日本人というのは、押しなべてこうも外国人(=欧米人)に弱いのか(そしてその反動として同じ程度に有能な日本人が同じように有効な提案をしたとしても、提案される側の日本人が強く出て提案する側の日本人をつぶしにかかるのか)、そこが疑問だ。まして妙齢の金髪美人とくれば、行くところ可ならざるはなし、といえる無条件の活躍を許す背景がとても理解し難い。これは日米貿易交渉などで、アメリカ政府側の手管や恫喝に負けて、日本政府側がみすみす日本国民に不利な取り決めを呑まされざるを得なかった過去の政府間交渉でも、同じパターンをいくらでも見出すことができる。なぜ、どうして同じことが日本人ではできないのか。次項でその点を掘り下げる。もしかすると、明治維新以来の「脱亜入欧」の伝統思想が、そして「白人至上主義」が、そして日本独特の「自虐思想」が、百五十年の時を経て、いまだに日本社会に反芻されることなく生き続けているのではないか。
【それはさておき】
 本書中でも言及される、一時名経営者としてもてはやされた日産自動車カルロス・ゴーン氏にも比較されるセーラであるが、なぜ同じことが日本人ではできないか、ということをよくよく考える必要がある。日本人で名経営者という人種が絶無であるわけもなく、例えば以前当ブログで取り上げた「社長の椅子が泣いている」の河島博氏のような人が、名経営者というなら、日本人のなかにもいくらでも存在する。それらの名経営者がなぜ企業や組織のオーナーから「経営を任されることなく」結果として彼らの手腕を発揮できないか、結論からいうと、その名経営者を評価できるオーナーがいないからであろう。オーナーはその企業の最高経営責任者であるから、自分の下に有能な経営管理者を雇って自社の業績を上げればいいのだが、それができないのだ。評者なりに判断すると、日本のオーナーたちがそれをできない理由は「名経営者を見分ける目がない」イコール「名経営者(候補)を評価する座標軸を持たない」ことに尽きる。だから外人の金髪美人のいうことなら、無条件に受け入れてやってみてしまうわけだ。おおかたの日本のオーナーは、自分自身が自社の経営には最適の人材だと思い込み、もっと有能な他者を雇い入れることは考えもせず、やみくもに他人を排除して自分の地位を安泰にすることのみに専念する。これが理由である。アメリカの企業がそうであるように、職能を分類し、それを果たす最適の人材をほかから呼んできてでも自社の業績を上げようとするオーナーの数が極端に少ないのが日本の現状であろう。このことをよく認識させてくれるのが、この本である。□