tokyokidの書評・論評・日記

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書評・GMとともに

tokyokid2006-12-22

書評・★GMとともに(アルフレッド・スローンJr.著、田中融二・狩野貞子・石川博友共訳)ダイヤモンド社

【あらすじ】
 かっては(というべきだろう)世界最大で、世界最高の大企業であった、アメリカのゼネラル・モーターズ社(以下GM)の発展のあとをたどろうと、1923(大正12)年から1946(昭和21)年まで同社の最高経営責任者の席にあった著者が、創業以降著者の現役の時代が終る(第二次世界大戦直後)までの同社の歴史を振り返って書いた本。当時の卓越した経営者として知られた著者が、自己の経営哲学と、GMのサクセス・ストーリーを過不足なく述べたこの本は、当時もっとも有名な経営の教科書としても知られた。本文は19世紀末に誕生した「自動車」のメーカーとして、GMがどのような経緯で創業し、どのようにして当時の自動車界の巨人・フォードと渡り合い、その結果どのようにトップ・メーカーの地位を勝ち得たかについて書かれている。その道中で、重要な役割を果たした著者が、強烈なリーダーシップを発揮して実践されたところの「分権組織」「財務管理」「自動車事業に対するものの考え方」についても詳細に述べられており、そこが経営学の生きた教科書として本書が珍重されたゆえんであると思われる。著者がこの本を書いた時代における、世界一企業であったGM社の、一種優れた社史、ということもできよう。
【読みどころ】
 アメリカの自動車業界を先駆けたのは、のちにGMを設立するビュイックのウイリアム・デュラントと、フォードを創業したヘンリー・フォードであった。だがこの二人の経営哲学は、哺乳類と爬虫類ほどに違っていた、というべきだろう。デュラントは分権主義者だったし、フォードは極端な中央集権主義者だった。つねに自分に権力を集中して、伝説のT型フォードでトップ・メーカーに躍り出たフォード社に対して立ち向かったのが、半ダースほどの個別の自動車会社を統合したデュラントのGMであった。そのような成り立ちからして、GMが分権主義を取らざるを得なかったのは必然といえるかも知れないが、結果として1920年代半ばには、フォードのT型車の凋落と歩調を合わせたように、GMがトップに躍り出て、そのまま今日に至る。じつに企業というものは、その経営者個人の器量を超えることはない、という京セラの稲盛和夫氏の名言通りである。永年にわたって一位の座を占め続けたGMにも泣き所はあった。たった759台で生産が打ち切られ、うち239台は工場の門を出ることなくスクラップにされた「銅冷エンジン車」、欠陥車騒ぎを起こしたコルベアやベガ、発売後トラブル続きだった可変気筒エンジン車やディーゼルエンジン車、コルベットの試作車まで発表しながら完成を見なかったロータリーエンジン車など。でも途中入社して社長・会長などの最高権力者に登りつめたGM中興の祖、スローンJr.の経営哲学と時機に適した戦略によって、自動車工業の初期に、GMはどのように消費者のニーズに応え、社内の態勢を整え、業容を拡大していったか、その考え方と事跡をたどるのに、これほどの好読物はない。
【ひとこと】
 19世紀末に発明された自動車は、20世紀に大発展に次ぐ大発展を遂げて、こんにちの隆盛を見るに至った。自動車工業は単に技術的な発展を遂げただけでなく、組立て工業として、かっての(ある意味ではいまでも)基幹産業の鉄や非鉄金属やガラスや化学工業なども、広い裾野産業のうちに抱え込む特大産業に発展したのである。その代表選手が、世界最大のGMであった。マーケッティングひとつをとっても、高級車のキャデラックから大衆車のシボレーまで5車種、それにトラックのGMCを加えて、すべての消費者に向く製品を送り出すためのフルライン政策は、このGMを嚆矢とする。GMはまた自動車以外の製品、たとえば鉄道の機関車や、産業用エンジンや、航空機なども生産したか、現在もしている。とくに第二次世界大戦中、自動車の組立て技術を応用した航空機の流れ生産は、日本・ドイツ・イタリアの枢軸国側を圧倒するに充分な工業能力の発揮であった(この点フォードも同様の貢献をしている)。GM社が誕生したのは1908年のことであったから、再来年の2008年に同社は創立100年を迎える。企業の寿命100年説というのがあり、バブル期に倒産した山一證券北海道拓殖銀行なども創業100年目近辺での倒産であったから、20世紀にさしもの隆盛を誇ったGMにも、これからなにが起こるかわからない。時あたかも、アジアの片隅から、それもいちどは一面焼け野原になった日本から、トヨタ自動車が台頭してきて、いまや世界一の座を窺っていることは周知の事実だ。もし再来年には、GMが世界一の座を降りているとするなら、歴史の皮肉というしかない。
【それはさておき】
 評者はサラリーマンの末席に連なっていた者で、経営のことで思い悩んだときには、この本をひもとくのを常とした。ここには論理に裏打ちされ、有用な経営のノウハウが詰まっている。文脈から著者の誠実な人格を感じ取れたこの書から、学べるものは少なからずあった。評者が初めてアメリカの土を踏んだ1967年、当時の勤務先は製品をGMに売り込むべく全力を尽くしていたときであったが、そのとき訪れたGMのテクニカル・センターでは、応接に当たってくれた研究員が「ここでは試作レベルだが、作ろうと思えば原爆でも作れる」と説明してくれたことを思い出す。本書中にも、このテクニカル・センターについてはとくに一項を割いての記述があり、当時「1億2500万ドルを投じて1956年に完成した」と書かれてある。ここは当時の日本の工業レベルからすれば、広い敷地に人工池まである、夢のような、立派な「技術研究所」であった。テクニカル・センター建設当時は1ドル360円の時代で、それもまだ戦後10年ほどしか経っていないときで、日本の国力はようやく国民が飢えることがなくなった程度のところであり、日本政府は必死に重厚長大産業のテコ入れを行っていたころであった。それから半世紀、現在のGMが、消費者の求める製品を供給し得ていないことは火を見るよりも明らかだ。なぜこうなってしまったのか、GMが世界一の座を他社に明け渡してしまってから、その一部始終を描いた本が出版されることだろう。この本の初版は昭和42年(1967)に出版されたが、数年前に異なる訳者による改訳新版が、同じダイヤモンド社から出版された。
【ブログ版へのあとがき】
なにごとも創るのはむずかしく、壊すのはやさしい。昨今アメリカ市場で、GM・フォードのアメリカ勢が、いつ会社更生法が申請されておかしくないといわれる創業以来の苦境に立たされ、相対的にトヨタ・ホンダの日本勢が日の出の勢いであることを見ても、そのことをひしひしと感じる。(アメリカのクライスラーはすでにドイツ勢に買収され、日本の日産はフランス勢、マツダアメリカ勢に買収され、三菱は稼ぎ頭のトラック部門を欧州勢に取られた揚句に本体はいったん提携合意したドイツ勢に見放され漂流中であるのが現状)。もし企業百年寿命説をとるなら、GM・フォードはいつ倒産してもおかしくないわけだし、するとトヨタはあと三十年、ホンダはあと四十年の寿命ということになるわけだが・・・・・果たしてどのような結果になるか興味津々たるものがある。□