tokyokidの書評・論評・日記

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書評・コメ自由化はおやめなさい

tokyokid2006-12-01

書評・★コメ自由化はおやめなさい(鯨岡辰馬著)文芸春秋社

【あらすじ】
 副題は「カリフォルニア日系農民からの忠告」。著者は「国寶ローズ」米生産で有名な国府田農場で永年総支配人を勤め1989年に引退。この本は引退直後の1990年に出版された。日本がコメの輸入自由化アメリカに強制されつつある現状をふまえて、コメの生産に関するアメリカの実情や、日本のコメ作りを含む農業の実情を分析したうえで、著者なりの結論を題名に集約される意見にまとめたもの。農業実務者による日本のコメ自由化所見。
【読みどころ】
 コメには長粒米、中粒米、短粒米とあり、日本で普通に食用されるジャポニカ米は短粒米であることくらいの知識はあったが、カリフォルニア米は交配に苦心して作り出された中粒米とは、気がつかないことであった。またアメリカでのコメ作りはマイナーであることは予想できたが、その農業に占める割合が僅か0.4%(耕地面積比)であるとは意外であった。地域的にはアーカンソールイジアナ、テキサス、ミシシッピミズーリの南部5州と西部のカリフォルニア、あとは僅かにフロリダで作られているだけとのこと。さらに日本とアメリカでは、コメの品質に関する定義も生産から流通の慣用もまったく異なることの内容も本書に詳述してある。またコメの生産者である農家は水の補給問題から生産量をたやすく増やすことができないので必ずしも熱心な対日輸出増量論者ではなく、むしろ精米依頼量が設備に見合わず困っている精米業者の組合から強く日本のコメの輸入自由化圧力がかかっている事実も新たな発見であった。さらに日本では知られていないが、日本のコメ農家に対する政府の手厚い補助政策がけしからんと言ってイチャモンをつけるアメリカ側のコメ農家に対する減反補助金も日本に負けず劣らず手厚いものであり、あの手この手でその制度を悪用するアメリカ農家すら存在するというに至ってはいずこも同じ秋の夕暮れ、日本ではこのようなアメリカ事情が知られていないのではなかろうか。
【ひとこと】
 第三章の「安くておいしいコメはほんとうか」で論じられる、日本で食用として受け入れられる品質のコメは結局カリフォルニア米だけであり、しかも加州では農業用水の量が限られているから生産量をこれ以上ふやすわけにはいかないこと、またカリフォルニア米をよそで栽培するにせよ品種改良などかなりの長時間が必要ですぐの役には立たないとの観測は著者がコメ生産者であるだけに説得力がある。アメリカでもいいコメは必ずしも安くならず、実際に日本で消費者に受け入れられる味のコメの値差は2,3倍というところだろうが、この程度の値差では中間段階のマークアップに遭えばたちまち国内産米と同じくらいの末端価格になってしまうとの指摘は、その通り、と思わざるを得ない。
【それはさておき】
 こうしてみると日本とアメリカそれぞれの立場で日本のコメ輸入自由化を論じている人々は、一部の利害関係人が自己の利益を増やすためだけに目先の現象をとらえて議論をしているのではないか、という印象が拭い切れない。ただでさえ食料自給率の低い日本が、工業化だ、減反だ、後継者難だ、などという目先の現象に引き摺られてコメの自由化も決めてしまえば、取り返しはつかない。著者によれば、うどんの原料たるコムギの自給率は14%、みそしょうゆのダイズに至ってはわずか6%とのこと。いったんコメを自由化したら、コムギ・ダイズの二の舞にならないと誰が保証するのだろうか。
(TVファン誌2003年2月号掲載原稿)
【ブログ版へのコメント】
 あれから少し時間が経って、この本の著者も故人になられたと聞く。当時あれほどかまびすしかった「コメ自由化」問題も、台風一過で、2006年のいまでは、ちっとも聞く機会がなくなった。日本の役所得意の問題先送り、解決先送り技法が、この問題に限っていえば、功を奏した形となった。結論としては、これでよかったのだと思う。日本の歴史上で、縄文時代弥生時代の区分がわかっている人には、日本にとってこの「コメ問題」は軽々に扱うべきでない問題であることは、よく分っているのは当然のことなのである。