tokyokidの書評・論評・日記

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書評・半七捕物帳(全六冊)

tokyokid2006-11-13

書評・★半七捕物帳・全六冊(岡本綺堂)光文社時代小説文庫

【あらすじ】
 江戸時代の岡っ引「半七」に、子分の「圧太」や「善八」を配した、読み切り形式の短編全六八篇の推理小説。これを書生風の「わたし」が、明治も半ばを過ぎてから、引退した半七老人の、現役のときの手柄話を聴く、という形式になっている。これが捕物帳という推理小説のジャンルを切り拓いたといわれる。
【読みどころ】
 読みどころは、全編を貫く江戸の町とそこに住むひとびとの、息遣いでも聞こえてきそうなやりとりだろう。士農工商身分制度がやかましかった江戸時代を描いているのであるから、それぞれの身分の者が身分違いの者に対して使う言葉遣いや、駆け引きや、さらには問題の決着のつけ方など、東京になる前の江戸はかくもありしか、という気分にさせてくれる。それに江戸人の挨拶のなんと細やかなことか、溜息が出るほどに美しい。私の記憶でも、戦前はその名残りが濃厚に残っていたし、戦後もしばらくはそのような挨拶を当時の年寄りから聞くことができた。いまどきは、同じマンションの住人が顔を合わせても挨拶もしない、という話を聞いて今昔の感に堪えない。著者の岡本綺堂は、江戸幕府御家人(将軍直属の下級武士)の長男に生まれてのち新聞記者、劇作家、英語にも堪能で、シャーロック・ホームズを始めとして、当時の英語の小説にも通暁していたという人物である。明治5年(1872)生まれというから、明治維新直後の生まれで、当然著者の周囲には江戸時代の人がうようよしていたわけで、そういう環境に育った人が西洋の文物に触れて書いた、当時の日本ではまだまったく発達していなかった推理小説、というところも、読者としては(行間や紙背を通して)大いに興味をそそられるところであろう。いまはインターネットの青空文庫で読むことができる。
【ひとこと】
「半七捕物帳」は、江戸時代の岡っ引の「半七」と、明治中後期の書生年頃の筆者が知り合いになり、そのころは引退していた半七から現役のころの話を聴き出す、という形式をとった推理小説である。全部で六八篇、初出は大正六年(1917)、当時博文館が出していた「文芸倶楽部」に発表されたという。当時の人の気の長いのには感心するばかりだが、最初の作品「お文の魂」から六八番目の「二人女房」が雑誌掲載になったのはなんと昭和十一年(1936)のことで、それまでに約二十年間かかった。評者が読んだ「光文社時代小説文庫」は昭和60年(1985)の初版本であるから、当然文章を現代語に書き換えてあるわけだが、著者の岡本綺堂は明治5年(1872)〜昭和14年(1939)の人だから、たとえば美文で知られる明治の女流作家・樋口一葉(明治5年・1872〜明治29年・1896)とまったく同じ時代人であったわけで、それならいっそのこと明治の美しい日本文でこの「半七捕物帳」も読んでみたいと思うのは、評者ばかりではないと思われる。また「半七捕物帳」に触発されたといわれる後続の「銭形平次捕物控・野村胡堂著」などと読み比べてみるといっそう興趣がそそられるはずだ。
【それはさておき】
 戦後の首相・吉田茂は「捕物帳を読むのが好きだ」と公言して、当時の新聞記者からからかわれたものだったが、もし吉田茂がこの「半七捕物帳」を読んだのなら、評者はそれによって吉田茂の評価を高めこそすれ、貶めることにはならないと思う。「海軍爺さん」として有名な作家の阿川弘之氏の著書「海軍こぼれ話・光文社文庫」のなかで、情報将校だった著者の上官の課長(海軍中佐)が、ヒマを盗んで赤本を読んでいるので、いったいなんの機密文書かと、課長の留守中にこっそり調べてみたら、全部「半七捕物帳」だった、という話がでてくる。旧帝国海軍のなかでも、こういう上官のもとで働くことができた阿川弘之氏は、(もしそのようなものがあるとすれば)幸福な軍隊生活を送った、というべきだろう。□