tokyokidの書評・論評・日記

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書評・教育勅語(読み下し文他)

tokyokid2006-10-18

書評・★教育勅語(読み下し文と現代語訳)

 先日の「教育勅語(原文)」掲載に際しましては、たくさんの方の検索・閲覧をいただきまして、まことに有難うございました。なかでも熱心な方がいらして、アドバイスをいただいたりご指摘をいただいたり、とても勉強になりました。
 以下ご参考までに、「教育勅語」の【読み下し文】【現代語訳】【原文】を、この順序で記してみました。私自身の注釈であり訳文であるので、至らないところが多々あるかと思いますが、読者諸賢のご指摘、ご教導をいただければ幸甚です。

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【読み下し文】
朕(ちん)惟(おも)うに、我(わ)が皇祖皇宗(こうそこうそう)国(くに)を肇(はじ)むること広遠(こうえん)に、徳(とく)を樹(た)つること深厚(しんこう)なり。我(わ)が臣民(しんみん)、克(よ)く忠(ちゅう)に克(よ)く孝(こう)に、億兆(おくちょう)の心(こころ)を一(いつ)にして、世世(よよ)厥(そ)の美(び)を済(な)せるは、此(こ)れ我(わ)が国体(こくたい)の精華(せいか)にして教育(きょういく)の淵源(えんげん)また実(じつ)にここに存(そん)す。爾(なんじ)臣民(しんみん)、父母(ふぼ)に孝(こう)に兄弟(けいてい)に友(ゆう)に夫婦(ふうふ)相和(あいわ)し、朋友(ほうゆう)相信(あいしん)じ、恭倹(きょうけん)己(おの)れを持(じ)し、博愛(はくあい)衆(しゅう)に及(およ)ぼし、学(がく)を修(おさ)め、業(ぎょう)を習(なら)い、以(もっ)て智能(ちのう)を啓発(けいはつ)し、徳器(とっき)を成就(じょうじゅ)し進(すす)んで公益(こうえき)を広(ひろ)め、世務(せいむ)を開(ひら)き、常(つね)に国憲(こっけん)を重(おも)んじ、国法(こくほう)に遵(したが)い、一旦(いったん)緩急(かんきゅう)あれば義勇公(ぎゆうこう)に奉(ほう)じ、もって天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし。是(かく)の如(ごと)きは、独(ひと)り朕(ちん)が忠良(ちゅうりょう)の臣民(しんみん)たるのみならず、又(また)以(もっ)て爾(なんじ)祖先(そせん)の遺風(いふう)を顕彰(けんしょう)するに足(た)らん。
斯(こ)の道(みち)は、実(じつ)に我(わ)が皇祖皇宗(こうそこうそう)の遺訓(いくん)にして子孫臣民(しそんしんみん)の倶(とも)に遵守(じゅんしゅ)すべき所(ところ)、これを古今(ここん)に通(つう)じて謬(あやま)らず、これを中外(ちゅうがい)に施(ほどこ)して悖(もと)らず、朕(ちん)、爾(なんじ)臣民(しんみん)とともに拳拳服膺(けんけんふくよう)して、咸(みな)其徳(そのとく)を一(いつ)にせんことを庶幾(こいねが)う。

【現代語訳】
私が思うに、そもそも天皇家が日本を初めて拓いたのは遠く昔のことで、それ以来(天皇家は)徳を樹立しようとして深厚なる努力をしてきている。わが臣であるところの日本国民は、数多い全国民の心をひとつにして、忠孝に励んできて、これは日本国のあり方の花であるが、じつは教育の根底とは、ここに存在するのである。これからも日本国民は、父母に孝を尽くし、兄弟は親しく、夫婦の間にあっては和を図り、友人は相互に信頼し、己れは他人にうやうやしく自分はつつしみ深く、博愛の精神を以って他人に接し、学問を修め、生業を習い、その結果智能を啓発し、自分に徳を積み、自ら進んで公(おおやけ)の役に立つことを心掛け、世間の義務をこなし、常に国の定めを尊重し、国の法律に従い、もし事件が起これば義勇の心をもって公(おおやけ)に奉仕する心を持ち、そのことによって永遠限りない天皇家の存続に力添えするように。このようにすれば、(このようにした国民それぞれが)単に私の臣民として忠であり良であるというだけでなく、同時に国民それぞれの先祖から受け継いだよい遺風を明らかにすることにもなるだろう。
この道は、じつにわが天皇家の遺訓であるばかりでなく、国民もまたその子孫とともに守っていくべき道であり、これを時間の経過があっても実行を誤ることなく、また国(くに)内外に実行するに違(たが)えることなく、私も、日本国民の皆とともに常に心に銘記して忘れず、徳を積むことにおいて同一であることを心から願うものである。

〔注・教育勅語は、明治天皇が当時の国民(ここでは臣民または爾臣民となっている)に向かって、天皇の教育に関する考え方を述べたもので、当時の厳しい身分制度による、上から下に対する物言いの表現が随所に見られますが、その部分は主権在民と変わった現在の日本に通用する日本語になるべく近くなるように置き換えました。また最後の行にある「咸」は、現在まずお目にかかることのない漢字で、「カン」または「ゲン」と読み、意味は「みな=皆」ということです。〕

【原文】 
教育勅語
教育ニ関スル勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト広遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
  御名御爾

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 当時の厳しい身分による物言いが、現在と大きく異なるので、その点に違和感をお持ちになる方も多いと思います。この文章では、国民が無限に続くであろう天皇家に対して、種々の徳を積むことによって「扶翼」すなわち「協力せよ」と言い回すなど、いまとはだいぶ考え方が違います。
 もとより教育勅語の原文は明治の文章ですから、難しい漢字がたくさんあり、句読点や濁点・半濁点もない書き流しで、いまの日本語に慣れたわれわれには至極読みにくい文章であることは論を俟ちません。
 平成18年の現在、日本の公立高校から漢文の授業がまったくなくなってしまったそうですが、これでは常用漢字以外の漢字が出てくると「読めない」ということになるのは自明の理です。
 昔江戸時代の「寺子屋」では、こどもを集めて「読み書き・そろばん」を教えていたということですが、書くことについては、習字を教えたのでしょう。昔は紙が貴重品だったので、反故紙とかいちど襖の下張りに使った紙でも筆墨によるこどもの習字に使われたといいます。それもないところでは、指で空中に字を書くまねをして、筆順などを覚えたといいます。
 読むことに関しては、「素読」といって、意味を教えることはせず、こどもに教科書を読み下させて、先生はじっとそれを聞いていて、読みを間違えたり分らなかったりすれば、先生が(読み方を)教えるだけで、文章の意味はそこでは教えなかったそうです。教科書は「論語」が必須科目で、いまでいえば小学生くらいのこどもが「子曰く(シ、ノタマワク・・・)」などと大声を張り上げて読んでいるのが表通りからも聞こえた、とものの本にあります。江戸時代のこどもたちは、寺子屋では読み下し方は覚えても、意味はわからないままなわけですが、社会に出て、大人がそのフレーズを会話のなかに使うのを聞いて、あああの時教わったことはこういうことだったのだな、と合点したのです。
 いまの日本は、親も先生も忙しくて、こどもに接する時間を惜しまなくてはならなくなりました。幼児のときの絵本などの読み聞かせも、親によってはまったしない人もいるということですが、これではいつまでたってもこどもの読解力がつくわけがありません。
 教育はどうあるべきか、という意見は人の数だけあるでしょうが、この教育勅語に示された、いまから約百十七年前の明治天皇の考え方も、現代人がいちど理解しておいても、なにも失うものはありません。先人が教育をどのように見ていたか、いまの教育観とはどう違うか、それらのことを理解するきっかけになれば、幸いです。□