tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

書評・昭和史(戦後篇)

tokyokid2006-10-16

書評・★昭和史・戦後篇・1945〜1989(半藤一利著)平凡社

【あらすじ】
 前著「1926〜1945」篇に続く著者の昭和史「戦後篇・1945〜1989」がこれだ。2006年(平成18年)の現在、まさしく昭和は遠くなった。いま日本国民を構成する多くの人たちにとっては、昭和といっても戦後篇のこの本のほうが、各人の生活実感を交えて、より身近に感じられることであろう。
【読みどころ】
 前篇の太平洋戦争(または第二次世界大戦あるいは大東亜戦争)の敗戦までは、著者の著述もひどく重苦しい世相を反映していたものだったが、それは主題の重大性ゆえのことだったのかも知れない。なにしろ明治維新期の日清・日露戦争から太平洋戦争に敗れるまで、日本国が存続できるか否かの瀬戸際に追い込まれるまでの一部始終だったのだ。一転して1945年(昭和20年)の敗戦に始まる戦後は、1989年(昭和64年・平成元年)1月の昭和天皇崩御によって閉じるまで続くが、この期間の昭和史の明るさというものはどうだ。戦争直後は、戦争が終った安堵感による明るさ、昭和30年代から50年代にかけては、経済成長による国民生活向上を噛み締めての明るさ、そして世界の歴史は1989年11月にベルリンの壁が崩れて東西冷戦が終わりを告げて、状況は大きく変わる。そのとき昭和はもう終ったあとだ。ドイツと並んで、奇跡の復興を成し遂げた日本だったが、ベルリンの壁が崩れたと同時に日本の経済バブルもはじけ、それまでのような経済成長が見込めなくなる。そしてそのあと、2006年の現在に至るまでの経済的な「失われた10年(以上)」といわれる低成長時代がいまでも続く。敗戦の痛手から立ち直って、すくなくとも経済的には戦前を上回る大成長を遂げたのが昭和の経済高度成長期であったのだ。それも平和あってのことだった事実を忘れるわけにはいかない。偶然経済成長が昭和と時を同じくして止まり、同時にベルリンの壁が崩れて世界の新秩序が始まる。平和を謳歌していた、といえば聞こえがいいが、平和ボケした日本が、平成に入ってから戦後制定された新憲法をみずから踏みにじって海外派兵へと続く道筋をつけるわけだが、昭和はその前に終っている。だからここで語られていることは、「戦後の国民総飢餓状態」から「もはや戦後ではない」時代を通って「世界第二位の経済大国」に至るまでの道筋なのだ。
【ひとこと】
 敗戦による米軍の日本進駐、それにつづく天皇マッカーサー会談によって戦後の幕は開く。天皇制の維持に日本はどれほど苦心したか、飢餓状態の日本国民の目にアメリカの占領政策はどう映ったか、明治憲法を破棄して新憲法が制定された経緯、物議をかもした東京裁判とその結論、いまだに尾を引く靖国問題、日本にとっては戦後の経済的ピンチを救ったという意味で神風が吹いた朝鮮戦争、これで日本は経済発展のきっかけを掴み、サンフランシスコ条約を結んでようやく国の独立が世界に認められる。一方政治においてはいわゆる55年(昭和30年)体制が始まり、60年安保闘争が吹き荒れる。そのあとにくる東京オリンピック(1964)や東海道新幹線の開通(同年開業)に象徴される経済高度成長時代から、昭和元禄といわれたその後のバブル時代。そして時代は平成へと変わる。著者はその過程をまだわれわれの記憶に新しい史実や記録を駆使しながら丹念に拾っていく。
【それはさておき】
 ことし2006年は平成18年だが、昭和が64年で終結してから18年も経つのに、われわれはいまだに昭和から抜け出し兼ねているのが現状である。この歩みののろさは、比較的長かったとはいえ昭和よりずっと短かい45年間であった明治、たった15年間で終った大正と見比べてみれば一目瞭然であろう。昭和が終ってから18年も経ったのだから、日本は国としてその向かう方向を見定め、その方向に向かって走り出したといえるのか、答はノーであろう。この期に至ってもまだ憲法論議も、海外派兵問題も、靖国参拝問題も、歴史認識問題も、最近に至っては1000兆円を超すといわれる国と自治体の大借金も、なにひとつ解決されていない。唯一いちどは解決されたといえるのは経済問題くらいなものだが、それも最近の中国その他開発途上国の目を見張るほどの経済成長に脅かされて、その上に政治がからんで政経分離ともいかず、日本としては今後に大きな問題を残したままだ。時代が下るにしたがって、世の中の変化の速度はスピードを増してきていると思われるが、そのようなことで将来の日本は大丈夫だろうか。これらの事情がなぜ起こってしまったのか、政治家・官僚の責任問題もさることながら、私ども国民も「国の大事」を忘れて走ってきた部分がなかったか、そのようなことをこの本を読むとつくづくと考えさせられてしまう。□