tokyokidの書評・論評・日記

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書評・関東大震災

tokyokid2006-10-08

書評・★関東大震災吉村昭著)文春文庫

【あらすじ】
 大正12年(1923)9月1日関東地方を襲ったマグニチュード7.9の大地震関東大震災として知られる)のノンフィクション。先日亡くなった著者の吉村昭は、本書が書かれた昭和47年(1972)当時(初出は雑誌「諸君!」昭和47年5月号)においても、綿密な調査やインタビューに基づくノンフィクションを次々と発表し、この分野で不滅の金字塔を打ち立てた人といえる。なかでも「海の史劇」「ポーツマスの旗」「深海の使者」「戦艦武蔵」「零式戦闘機」などの戦記もの、「高熱隋道」「虹の翼」「赤い人」「ニコライ遭難」「漂流」などの歴史ものなどは、各分野における日本の先達の軌跡を描いて余りない。これらは国民必読の書といえるのではないか。
【読みどころ】
 すでに80年を超える昔の話になってしまった関東大震災を、著者は丹念な実績を積み上げることで、当時の時代背景から始まって、人々が「立っていられないほどの」強い地震に揺られながら状況にどう対処していったか、対処し切れないで死んでいったか、そのときどういう問題が起こったのか、どういう事実が残ったかを書く。この大震災の被害を、著者は当時の東京府横浜市を合わせて9万人を超す死者・行方不明者、負傷者3万6千人以上、家屋倒壊戸数は横浜・千葉・東京で全壊3万9千戸以上、半壊3万7千戸以上、またその処理と続けて書く。東京だけでも人口一千万人を超す現在の話ではなく、当時の東京府横浜市の人口は合わせても計450万人ほどであった。その3分の2以上の人が住む家屋を失ったという。そして震災にさらされた人々の対応の仕方、なぜ当時本所区横網町(現・墨田区)の「被服廠あと」だけで全死者の4割近い3万8千人の死者を出してしまったのか、その凄惨な実情が語られる。これらの人的・物的損害は、地震そのものよりもそのあとの火事による損害のほうがはるかに大きかったこと、そのなかで、本来なら類焼を免れなかったはずの神田和泉町と隣の神田佐久間町だけがなぜ焼け残ったのか、その理由もぬかりなく記してある。さらに地震後の「情報不足」による「不逞朝鮮人蜂起説」のデマによって、どれだけ多くの(意外なことに少数ではあるが日本人を含めて)無辜の朝鮮人が殺されたのか、その経緯も書いてある。これらを読むと、戦時や大災害時など、環境が大激変すると、人はその人格さえも変えてしまう、と思わざるを得ない。さらにこの地震直後に起きた当時発生直後から人の口の端に上った隠微な事件として知られる大杉栄伊藤野枝と6歳のこども・宗一の3人が憲兵・甘粕大尉などによって惨殺された事件など、本来は自然現象であるところの地震が、どのように人間の社会生活にふだんではとても考えられないところの、大きな不可抗力の負の影を落とすかなどなど、著者の目は鋭く光る。これは次の地震対策立案のこれ以上ない教科書なのだ。
【ひとこと】
 いつになるにせよ、このつぎ「関東大震災」級の大地震が首都圏に起こったなら、注意しなければならないことがいくつもある。大正12年当時とちがって、いま平成18年の東京を含む首都圏は劇的な変化を遂げた。人口もビルも自動車も増えた、街は高層化された、地下鉄は網の目のように張り巡らされた、自動車や列車による高速移動手段も大正時代にはなかったものだ。たとえば都心に限らず街に聳え立つ大きなビルの側面は、いまようにガラスで覆われた建物が多い。地震があったら、そのようなビルの横を歩いている人は、頭上からガラスの滝が降ってくることを覚悟しなくてはなるまい。地震のあとの火事の怖さもさることながら、地震による建物崩壊の被害は、大正時代と平成時代では比較にならないほどいまのほうが高いことは万人の認めるところだろう。ならば地震が起こったときの対策は、万全の上にも万全を期さなければならないのだ。ただひとつ、情報についてだけは、ケータイがこれほど普及した現在にあっては、やり方さえ間違わなければ、被災民が情報不足に悩まされる度合いはずっと少ないと思われる。それとても、わずか10年ほど前の阪神淡路大震災のとき、あれほど混乱した実情を思い起こせば、いくら対策をしておいてもし過ぎることはないという認識に徹すべきだろう。
【それはさておき】
「天災は忘れた頃にやってくる」。有名なこの言葉を、肝に命じておかなければならない。これはある意味で究極的な生存競争なのだ。関東大震災から90年近く経ったいままで、(幸いにして)関東地方にはこの大震災に匹敵するような大きな地震はまだ起こっていない。だが確実にいつかは起こる、というのが専門家の見方である。それも前震災からこう時間が経ってしまえば、次がいつ起こっても不思議ではない、ということのようだ。過去の地震の歴史からみて、地震周期60年説やら100年説などあると本書に記されているが、次の大地震の予測はともかく、われわれ国民にできることは、地震が起きたときの対策・起きたあとの対策をいまから計画・実施しておくことだろう。地震に襲われたらまず火の始末。これは当り前のこととして、あとは個人ベースと行政ベースの両方で、万全の対策を講じておくに越したことはないのだが・・・さて、現実はどのようになっているのだろうか。こういうことを考えさせてくれるのも、本書の優れた効用のごく一部なのである。□