tokyokidの書評・論評・日記

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日記140218・川柳三昧

tokyokid2014-02-18

「三昧」は「ざんまい」と読む。最近はなんでもかんでも「かな書き」になって、そうすれば小学生でも読めるだろうが、大人にとっては必須の漢字の持つ意味の質感がつかめない。たった二千字の常用漢字で間に合わせろというお上の意向だから仕方ないのだろうが、最近の日本人の日本語力の凋落ぶりは、見ていても国の将来が案じられるほどひどいものだ。「凉」を「涼」、「古稀」を「古希」と理不尽な書き換えを迫るお上、つまり文部科学省の意向だから、間違っているのはわかっていても従うしかないのが国民の立場というものだろう。
閑話休題
 さる川柳の集りにいってきた。川柳はもともと江戸時代に江戸で始まった世界でも最短の「たった五七五の十七音字で構成する」「人間を詠む詩」という文芸だが、最近は西高東低、関西のほうが盛んである。この集りもご多分に洩れず関西での主催であった。
 川柳の世界も、いまはブームで有卦に入っているが、その代り百花繚乱、いや百家争鳴の乱れぶりである。伝統川柳、詩性川柳、短句(七七の句)、サラリーマン川柳、時事川柳、懸賞川柳、ジュニア川柳、それからブームに乗ったマスコミの川柳欄新設による煽りも盛んだ。なかには江戸期の古川柳の精神を受け継ごうとしている人もいることはいるが、全体からみれば、一握の砂だ。薄っぺらい語呂合わせ、ダジャレ、ガハハという笑いを取るものなど「穿ち」のない、あまり質のよくない川柳が幅を利かせているのが現状だ。選者の日本語知識もあやふやなものと見えて、いい句が落ち、ダメ句でも「仲良しクラブ」の傾向に沿ってさえいれば選に入る有様だ。これは各流派とも同じ傾向だろう。
 写真はあれこれ含めて「わたしの川柳ざんまい」。五七五の規律を守る岸本水府の伝統を引き継ぎ、発行部数では最大を誇るといわれる「川柳番傘」の「同人」の仲間入りを果たしたときのスナップ数枚。大阪・弁天橋の会場にて、他。