tokyokidの書評・論評・日記

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論評・羅府新報「磁針」コラム・異様な風景・100121掲載原稿

羅府新報

101225 約一年間の空白期を経て、またブログを再開しました。相変わらずのご愛読をお願いします。

題名・異様な風景
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 昨年末、日本に行ってきた。いつものことだが、長い間異国で暮していると、なんでもない日本の風景でも自分にとっては異様に思えることがある。こんども日本では当り前の風景だろうが、ふだんアメリカに住む我が身にとっては異様な風景にぶつかることになった。
 北海道・釧路の駅前にあるビジネスホテルに泊まったときのこと、そこで朝食のバイキングに供されるバン類がおいしいというので、朝心躍る思いで最上階のレストランに向かった。そこでみたのは、フロア一杯にひろがっていた、談笑風景とは打って変った、各自黙々と朝食を摂る黒スーツのサラリーマンの群れであった。ある者は新聞を広げ、ある者はテーブルにうつむいて食べることに集中しているように見えた。さらにいえば、レストランの席に着く前から、エレベーターで乗り合わせても会釈ひとつ、挨拶ひとつなく、もちろん目礼などという優雅な身のこなしはとっくに日本の国からは消え去っていて、これら挨拶という儀式の記憶がある当方にとっては、そこに居合わせた誰もがまるで自分にとっては異邦人のように見えた。
 記事や話題としては、朝ロビーで顔を合わせても挨拶もしない都会のマンションの住人の話など聞くことがある。でも百聞は一見に如かず、自分でその光景を確かめると、聞いた話のダメ押しとしてズンと心に響く。いつから日本はこうなってしまったのだろうか。教育のせいだろうか。それとも最近犯罪が増えて、自分の子に「知らない人に声を掛けられても返事をしてはダメよ」という親が増えたせいだろうか。
 危険をいうなら、個人の銃の保有がほとんど野放しのアメリカのほうが、個人で銃に触ることも扱うこともない日本よりは、はるかに危険度が高いはずである。それでもアメリカでは、誰でもジョギングの途上行き会った人に対してさえも声を掛けるなりして、それなりの挨拶をするのが普通だ。いつから日本人は挨拶をしなくなってしまったのだろうか。□
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