tokyokidの書評・論評・日記

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コラム・わたしのアメリカ観察 13

tokyokid2012-01-19


ゴミの分別収集

 アメリカでは、おおらかにゴミを捨てられるのがいい。無料の場合がほとんどだが、有料の場合でも、日本の料金にくらべるとはるかに安い。30年ほど前のことだが、ここカリフォルニア州のハリウッド近く、インターステート四〇五号線の近くの山の上で、大型のトレーラーが何台もほこりを蹴立てて動き回っていたので、なにをしているのかと思ったら、ゴミで山と山の間を埋め立てているとのことであった。いまのゲティ美術館の横のところで、その後そのあたりは平坦にならして住宅地になってしまった。さすがアメリカ、とこの規模にはびっくりした。
 筆者の住んでいた高齢引退者のコミュニティでは、ついせんだってまでゴミの分別収集はしていなかった。プラスチックのペイルに、台所から出る生ゴミから、ビン・缶から庭木の手入れででてきた植物の枝葉から雑誌や折込広告に至るまで、新聞紙だけを除いて、なんでも突っ込んで所定の日に道路に出しておけば、清掃車がきて黙って持って行ってくれた。それがある日ブラスチック製のみかん箱くらいの大きさの把手付きの容器が支給されて、ビンと缶だけは分けてこちらのほうに入れることになった(それでも、殺虫剤のスプレーの空き缶をこの容器に入れて出したら、それだけ残して収集していったのはどういう魂胆かいまだに収集自治体の意図がわからない)。だから最近は、新聞紙、ビンと缶、その他すべてのゴミと三種類にわけてゴミの分別収集をするようになったわけだ。
 もちろん粗大ゴミと呼ばれる冷蔵庫やテレビなどの電気製品は別である。いつぞや冷蔵庫を買い換えたとき、電話で引き取りを依頼するタイプのこれらの粗大ゴミ専門の収集業者に頼んだら、古い大型冷蔵庫の引き取りに20ドルとられた。
 どこも引き受けてくれないゴミもある。たとえば切れた蛍光灯の蛍光管がそうで、これは有料でも持っていってくれるところはない。仕方がないから、知り合いの工場に頼んで、その会社の有料の産業廃棄物処理を専門にしている業者に引き取ってもらうことにしている。これとてタダでは済まないことは言うまでもないが、それはそれとして、知り合いの工場があるからいいようなものの、こういう産業廃棄物を扱う業者と知り合いでない人は、切れた蛍光管をどこに捨てているのだろうか。
 日本は昔から天然資源に恵まれない国だったから、モノを大切にすることに関しては、ひとかたならぬものがあった。江戸時代の昔から、古着屋や金属回収業者や古道具屋があったし、反故紙などの行く末は、襖の下張りと決まっていた。その伝統も手伝ってか、いまでも日本の廃品回収率と再生率は高く、アルミ缶は典型的なケースという。日本ではゴミも資源なのだ。それでこの再生率の向上には、ゴミの分別収集は欠かせないということで、日本では自治体ごとにゴミの収集に関する規則が細かく定められている。その結果、いまたとえば日本の廃棄自動車は、鉄、ガラス、プラスチックなどに分けて再生するので、捨てるところがほとんどない、ということだ。いつか本紙に、ハワイの廃棄物処理場が満杯になるという記事が載っていたが、いよいよこの広いアメリカでも、ゴミ処理が重大な問題になってきたようだ。□