日記200301・四つ違いのガールフレンズ
日記200301・四つ違いのガールフレンズ
私には「姉ばあさま」「妹ばあさま」と呼ぶそれぞれ四つ違いのガールフレンドがふたりいる。一番下の妹ばあさまが今年の東京オリンピックとともに傘寿だからおよその年齢を推察していただくことができよう。私を含めてこの三人は、ある文芸関係の趣味を通じて友達なのである。だから三人とも日本語にはうるさい。そんじょそこらのアナウンサーや新聞記者や、もちろん歌手やいい加減な雑文書きなど足元にも寄せ付けない。話題といえば、例えば「エノケンは<灯影>をキチンと<ほかげ>と歌っていたが、石川さゆりはやはりというべきか<ひかげ>だね」、「いやいや、さゆりだって後からはちゃんと<ほかげ>と歌っているよ。<ひかげ>は<日影>だからね」「ああ、葉山の日影茶屋ね」という種の会話なのである。姉ばあさまは明治生まれの丁寧できれいな女房言葉を話した私の母親を彷彿させるし、妹ばあさまは戦後の混乱した日本語をそのまま日常語として使うから、私としては最近の日本語の変遷を知る上で至極便利な存在なのである。もちろん日本語を考察する上でのことだけだ。ちなみに、英語の「girl friend」には、アメリカでは通常身体の関係がある男女関係を指すが、日本ではそんなことはない。「女友達」と同じく、一緒に寝ても寝なくても、一般的な意味での友達関係を指す。このあたりやはりアメリカは「進んで」おるな。
姉ばあさまは藤沢周平の小説の読後感についてこう言う。
「文中 狭斜 とありだいたいの意味は知ってはいましたが これまた聞いた事無し、私も使ったこと無し。辞書で調べました。本の帯に藤沢時代小説 乾いた叙情 構成の緻密 とありますが その通りです。ついでに冬至もコレはGで検索 昔 戸越公園駅の近くの銭湯で冬至には柚子が浮いていた?様な記憶有りです。ではまた」。続いて「狭斜」は「遊里」のことと書く。色里や狭斜の巷を知らないで、なんでも「赤線」で済ませてしまう昭和以後のモボ諸兄・モガ諸姉は以て如何と為す。ま、なにを言われているのかすらわからないのではないか。
一方妹ばあさまのほうは、あっけらかんとこういう。
「お師匠様、身体の具合がよくないのに、仕事をお願いしていいものやら、どうしたものかと考えあぐねておりました。今回はやって下さるそうで、恐縮です。後二時間ありますがもう投句はないとおもいますので送ります。よろしくお願いします。(署名)」。
意味はよく通り、なんともわかりやすい文章だが、余韻がまったくない。これが昭和ヒトケタならこう書く。
「前略。体調がお悪いと伺いました。齢をとれば誰しも同じ道を歩むとはいえ、鬱陶しいこととお察し申し上げます。その上で仕事をお願いするのは誠に心苦しい次第ですが、周りに人が居りません。後がないので原稿をメールでお送りさせていただきます。今回だけは無理を承知でお願いの件、なんとか間に合わせていただければ幸甚に存じます。かしこ。(署名)。
このふたりはメリー・ウィドウ。そろそろ私あてにラブレターが届いてもいい頃だと思うが、その気配はまったくない。あーあ。昭和ヒトケタに極端に近い私でも、候文や擬古文はもう書けない。時代は移る。
★米傘寿はさまれ俺は死に損ね(謝)□
(写真はネットから借用)