tokyokidの書評・論評・日記

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日記170311・舐めて味噌、付けて味噌

tokyokid2017-03-11

日記170311・舐めて味噌、付けて味噌
 これはもひとつ、「舐めてみ、付けてみ」という謳い文句がついている商品である。商品名としては、なかなかしゃれているだけではなく、みごとに中身を表していて用途をしっかりと宣伝している。実質的には、これは一種の「嘗め味噌」である。
 この味噌を作っているのは愛知県のメーカーで、最初は関西で普及していたが、最近になって関東のスーパーでも商品棚に並ぶようになってきた。で、味はどうかというと、私には、もひとつの味であった。私のような昔者は、祖母が大豆や小麦や塩、麹を使って手づくりしてくれた嘗め味噌の味を覚えているから、どうしてもそれと比べてしまう。いまどきの味噌は甘く感じてしまうのだ。やはり子供の時に覚えた味は、生涯忘れないのである。だからといって、いまの若い人の舌に合わないというわけではない。むしろ若向きの味で、なまの胡瓜や人参につけてかじる味噌としては、好まれる味かも知れない。
 味噌は日本中どこでも作られているが、各地の味噌を比べると、味に微妙な差がある。この差が味の良し悪しを決めるのだ。この「舐めて味噌、付けて味噌」は、赤味噌にダシと砂糖を加えたものだと思うが、単にダシと砂糖の味を出すだけではなく、そこはかとないコクをどう出すか、そこが勝負どころだろう。そのあたりがいまでも市販している「金山寺みそ」などいわゆる嘗め味噌に比べると、差が出てくる点なのである。
 じつは金山寺味噌も、日本の各地でつくられており、味のそれぞれの特徴がある。この味は微妙なものだ。かつて日系米国人、いわゆる二世の人で「米のご飯の味の違いは私にはわからない」と言っていた人がいたが、米の味の違いがわからければ、味噌の味の違いもわからないだろう。味の差といっても、ほんの僅かな差なのだが、それでも「瑞穂の国」の住人には慣れた味であった。それがコメのメシを喰わなくなったわれらの直接の子孫からあとの日本人に伝わるのかどうか、私は興味を持って眺めている、余談だが、それにしても今年は私生活のうえで「ミソをつける」場面が多かったなあ。齢を取ってボケてきたせいもあるだろう。注意しなくてはならない。□(写真はネットから借用)