tokyokidの書評・論評・日記

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日記160910・71回目の敗戦記念日

tokyokid2016-09-10

日記160910・71回目の敗戦記念日
 先月のいまごろは、広島・長崎の原爆記念日や、8月15日の敗戦記念日で、いろいろな行事が開催されていた。私がなぜ「敗戦」という文字をことさらに使って「終戦」と呼ばないかというと、それは日本政府の弥縫策に乗せられたくないからである。戦時中の「大本営発表」は「退却」を「転進」、「重大な損害」を「軽微な損害」と言い換え、国民を欺いたのである。1945年8月15日の敗戦は決して終戦などというなまやさしいものではなく、米国、英国、フランスなどの連合国に対する日本、ドイツ、イタリアの枢軸国側の最後まで踏みとどまった日本が、原爆を浴び、沖縄で地上戦が開始され、日露平和条約を破って当時のソ連が日本に宣戦布告してきたことによって、やむなくポツダム宣言を受け入れて敗戦を認めた日であった。
 その後71年経っても、韓国はいまだに慰安婦問題をj繰り返し持ち出す。中国も南京で日本軍が民間人を70万人も殺したという誤報をことさらに言い立てて日本を苦しめる。原爆ですら10万人しか殺せなかったのに、せいぜい機関銃と手榴弾の当時の日本軍が、どうやって30万人を殺すことが可能だったのか。常識に照らしてもわかることだ。一方日本は、戦後シベリア抑留で、当時のソ連に旧日本軍捕虜を大量にかつ長期に使役され、かなりの重労働と酷寒の地とで大量に死者が出たというのに、日本はソ連に対してもその後継者たるロシアに対しても損害賠償はおろか公式な抗議すらしないで戦後の71年間を過ごしてきた。これは日本国民として釈然としない、という思いにとらわれていたら、刎頸の友、易しくいえば竹馬の友、砕いていえば幼な馴染のほとんど一生を共に過ごした友からメールが来た。自分の思いがそのまま綴られている文章なので、原文のまま下記に転載する。
 「終戦記念日で思うこと」
日本が大戦で負けたとき、日本は米国かソ連の妾になるしかなかった、結果、お金持ちの旦那米国の妾になったので、貧しくとも米国の文化、JAZZや野球に感化されながらメシが食えたので良かった。もし貧乏な旦那ソ連の妾になっていたら、国民はチョコレートをもらうどころか、メシも食えず悲惨な目にあったと思う。当時ソ連はシベリヤへ日本の軍人を連れて行き悲惨なめに合わせたが、日本人はおとなしいので韓国に慰安婦問題で今だに多くの賠償金を払っているが、ソ連にシベリヤ抑留について賠償どころかなんの抗議もしていない。戦時中に日本とは友好条約を結びながら終戦間際に条約を一方的に破棄し1週間だけ満州を攻め、終戦後、日本の軍人をシベリヤに連れて行き過酷な自然条件のもとでシベリヤ開発をさせ、多くの日本人を殺したような旦那の妾に日本はならなくて良かった。」(以上原文のまま)
 この間読んだ川柳本に、元シベリア抑留兵だったらしい人の句が載っていた。うろ覚えだが、あまりに凄まじい句だったので以下記憶をたどって無断借用する。間違っているかもしれない。
★ 兵が死ぬただそれだけの冬景色
★ 飯盒の底でいのちがことり逝く
★ 雪昏れておぼろ白樺みな墓標
(写真はネットから借用。それにしてもソ連という国は、何度も国旗を変更していたのだなあ。なんのためだったのか。たいした理由もなくたびたび国旗を変更するような国は信用するに足る国なのだろうか。)