tokyokidの書評・論評・日記

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日記140602・アメリカの規制事情

tokyokid2014-06-02

 きょうはちょっと固苦しい法律やそれに基づく規制の話。アメリカの法規制は「原則・自己責任」だ。日本のように「原則・なんでも細大漏らさずお上が決める」ではない。これが話の発端である。
 写真をみてほしい。これは南加の Dana Point という、あまり大きくないヨットハーバーだ。全体の規模を示すために、まずネットから借用した全景を示す。それから中央が四年前まではうちのものだった27フィートのヨット。これは三、四人までなら宿泊もできて、沿岸航海ができたから、太平洋岸を南はメキシコから北は北加くらいまでなら楽にいくことができた。それからあとは点景。で、わかることは、アメリカは各個人が好きなことを好きなようにやっている、ということだ。ヨットも遠洋航海のできる大型船あり、うちのように沿岸航海が主の小型船あり、ヨットあり、モーターボートあり、ゴムボートあり、手漕ぎボートあり、と実に多彩だ。じつはこれ、その船の大きさに従って税金を納めることだけが決められていて、あとはオーナーの自主管理だ。事故が起ればオーナーが応分の責任をとる。その代り行政による細かな規制はない。だから日常の行動は各自の自由であることが基本なのだ。揉めれば、最終的には(割と簡単に)裁判まで行ってしまうのが日常茶飯事であることは、読者諸賢がとっくにご存じの現象だろう。
 だから半世紀以上の昔、堀江謙一氏が太平洋を小さなヨットで単独横断して、サンフランシスコ港に入港したとき、その冒険心に対してあれほどアメリカが熱狂したわけがわかる。そのときの日本の官憲の第一最大の関心事が「彼は正規のパスポートを持参して出国したかどうか」ということだったから、その文化の落差が知れる。
 おおもとの法律には、アメリカと英国の英米法、日本、フランス、ドイツなどの大陸法の大別がある。つまり英米法は前例の積み重ねが法律(判例法)なのに対して、大陸法は法に書いてなければ法の対象にはならない、という明文法であることだ。これが日米の法律の差、ひいては規制の差となる原因なのだろう。だから日本では、なんでもかんでも細かいことにまで政府がクチを出す口実になっているのだと思う。だからこの国に規制緩和は必要であっても、実態はちっとも進まない最大原因がここにある。