tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

コラム・わたしのアメリカ観察 19

tokyokid2012-03-26

死語になった戦争花嫁

 いまどき「戦争花嫁」は死語になった。つくづくそう思ったのは、赴任先のカリフォルニアで日本人・日系人のパーティがあって、そこで40歳台後半と思われるアメリカ人と結婚している日本人女性に向かって、20歳台前半の女子学生が「あなたは戦争花嫁ですか?」と訊ねて、相手にイヤな顔をされていたのを目撃したからである。毎日新聞社が発行した「昭和史全記録」という一九二六年から一九八九年の出来事を記録したクロニクルによると、「戦争花嫁」はわずかに1個所、一九五二(昭和27)年3月の項に「アメリカに船出する戦争花嫁(3・8)」との説明がある船の出発時の写真一葉があるだけで、その記事すら収録されていない。こういう扱いであるから、いまどきの女子大生が目の前の人が戦争花嫁かどうか判定できなくても仕方ないのだ。ムリヤリ戦争花嫁を定義するとすれば、戦後約10年ほどの間に、米軍兵士と結婚してアメリカに渡った日本人女性、ということになろうか。すると平成20年のいまは70歳台から上の人、でなければ計算が合わない。
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 いまでも「戦争花嫁」という言葉に不快感を示す女性がいる。だから無暗に「戦争花嫁」なる言葉を連発すべきではないということは、古稀を過ぎた当方としては承知していなくてはならないことである。だが同時に、昭和27年のあの頃、多くの戦争花嫁がアメリカに渡って、その後もなにかにつけて仲間で助け合い、励まし合ってアメリカという異国の地で生きてきた人がたくさんいるのも事実なのである。その助け合いの実情を、前回の「駐在員今は昔・14」に書いたわけだが、読み落とした読者のために、必要な部分を次項に再録しておく。
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 【T子さんがわざわざ遠い東海岸に旅行にきたのは、昔在日米軍の施設で働いていたとき親しかった同僚(女性・仮にU子さん)の家に泊りがけで招待されたので来た、ということだった。U子さん宅に泊まった晩、T子さんはU子さんから「一生のお願いだから・・・」と頼まれごとをしたという。当時U子さんは臨月の身で、アメリカ人の旦那さんは一人寝を余儀なくされていたわけだが、共寝の女性がいないと一晩も過ごせない人だという。それでT子さんから「人助けだからと思って」ここにいる間旦那と一緒に寝てやってくれないか、と頼まれたそうだ。昔親しかったT子さんの頼みとあって、U子さん宅に泊まっていた間ちゅう旦那さんと一緒に夜を過ごして、大変感謝されてきた、ということであった。いまのように「不倫」が日常茶飯事でなかった頃の話である。】
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 以上の再録部分について、上記のT子さんがなぜ臨月のU子さんに代って、U子宅に滞在中にU子さんの旦那さんに添寝してあげたか、それはU子さんに対する友情の発露だったのだ、だから自分の(貞女は二夫にまみえず、という一般に戦前の日本女性が持っていた)倫理を越えてそうしてあげたのだということ、そしてあの時代はそういう時代だったのだということを読者に理解してほしかった。だがもはや「戦争花嫁」そのものがはっきりしなくなった平成の世にあっては、あの記事についての背景説明をしなければならないと思った。□

*写真は1956年当時、進駐軍として日本にきていた米兵が軍用船クリーブランド号で帰国するときの横浜港出港風景。このなかには、米国軍人と結婚してアメリカに渡る日本女性の、いわゆる「戦争花嫁」も船に乗っていた。彼女たちのその後をまとめた本も何冊か出版され、現在でも、たとえばロスアンジェルスダウンタウンに近いボイルハイツにある日系高齢者中心の老人ホームにも入居者として老後を養っている場合もある。