tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

論評・羅府新報「磁針」コラム・百年目のGM【090723掲載原稿】

tokyokid2009-09-01

題名・百年目のGM
*   *   *   *   *
 ゼネラル・モーターズ社(以下GM)が日本の民事再生法に当る連邦破産法第11条の適用を申請し、経営が破綻した。その後米政府の肝煎りで、短時日で新生GMとして市場に復帰してきた。GMはシボレーやキャデラックを作る自動車メーカーで、一八九七年創立のオールズモビルが前身だが、買収・合併を繰り返してGMの名前に変えたのが一九〇八年であったから、会社の歴史がちょうど百年を超えたところで倒産したことになる。そのオールズモビルは既に消え去り(磁針「消えるオールズモビル」二〇〇四年四月二日付参照)、本家のGMも上述のありさまだ。もうひとつの大手・クライスラー社もGMに先立ち経営破綻した。
 GMにしてもクライスラーにしても、経営破綻の原因は「消費者が必要とする製品」を供給できなくなったことがその根底にある。ガソリンがガロン4ドルを超える時代になって、それでも(売れれば)利益率がいいというだけの理由で、最近は頽勢がはっきりしていたガソリンガブ飲みの大型車にしがみついていた両社が市場から見放されるのは当然の成行きだ。この点GMが今回の会社整理に当って、当時鳴物入りで発足させた小型車専門のブランド「サターン」を整理・売却する決定をしたことは理解できない。会社更生に当ってまたも新GMは大型車にしがみつくつもりのようだ。これでは再生してもやがてまた失敗するだろう。
 もうひとつ、アメリカの企業経営はあまりにも四半期ごとの利益に一喜一憂し過ぎる。製造業は金融業と違って、新機軸を打ち出したからすぐに利益が上がるという業種ではない。長期的な視野に立って新素材や新技術や新製品を開発して商品化して、それが世の中に受け入れられて初めて利益が還元される業種なのだ。この点がアメリカの企業として目先の利益を優先させざるを得なかったGMを破綻させる原因になったのではなかったか。
 振り返れば、前世紀末に倒産した日本の山一證券北海道拓殖銀行なども、創業百年目前後で憂目に遭った。「百年目」は企業にとってよほどの革新が日々なされない限り、世の中に必要とされるその会社の寿命が尽きる重要な節目なのかも知れない。□
*   *   *   *   *