tokyokidの書評・論評・日記

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随筆・駐在員今は昔(その十)【EWJ080601掲載原稿】

tokyokid2009-04-08


駐在員今は昔(その十)

 一九六〇年代の半ばごろ、アメリカに駐在員として赴任したK氏が驚いたことのひとつに事務所のエアコンがあった。 当時K氏は、自分の勤める日本の会社が提携先として選んだニュー・イングランドにあったアメリカの会社の事務所の一室の片隅に机を置かせてもらっていて、そこを根城にして勤務していた。出張以外のときは、そこで勤務していたのである。赴任前、当時の日本では、暖房機はともかく、冷房機のほうは高嶺の花で、工場はもちろんのこと、事務所といえども夏は窓を開け放して執務するのが普通であった。事務所の部屋の最後に帰宅する者は、電灯を消して、鍵を守衛所に預けて退社するのである。
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 いまでもそうだが、アメリカと日本は時差がある。アメリ東海岸と西海岸では、日本との時差の時間が異なるわけだが、いずれにしてもアメリカの夕方が日本の朝に当る。つまり日本の会社が活動を始めるころ、アメリカの会社はその日の業務を終了する。東海岸の場合は、夕方5時が日本の朝7時だから、少し経つと日本の会社の始業時間になる。当時はいまのように電子メールはなく、通信手段としては遅い順に手紙、電報、電話を使っていた。テレックスが普及するのはもう少し後のことである。現在アメリカから日本に対してメールで質問状を送っておけば、翌日出勤すると回答が入っているが、当時は望むべくもなかった。手紙のやりとりだと片道一週間は見ておかねばならないから、アメリカの駐在員が日本の本社になにか問い合わせをしたとしても、2週間以上経ったあとでなければ、回答は手許に届かない。込み入ったことは電報では述べ尽くせないから、急ぎの用事は高価な国際電話をかけて済ませるほかなかった。当時東海岸にいるK氏の勤務形態は、午後5時終業のあと、なんだかんだと残業しているうちに夜の7時になる。すると日本では朝の9時であるから、急ぎの用事は電話を一本入れて、それで今日の仕事は終り、ということが多かった。問題は、それから帰宅して、遅い晩飯を食って寝ると、日本ではちょうど昼が終ってその件の検討が進み、折り返しの質問なり回答なりの電話が鳴る。日本の午後1時、2時はアメリ東海岸の夜11時、12時であるから、その時間以後に日本から電話があると、K氏は寝入りばなを叩き起されることになって、非常に不便であるばかりか、睡眠不足に陥り勝ちであった。
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 それはともかく、K氏が初めてアメリカに赴任したのは夏のことであった。アメリカ人はまず残業をしないから、会社の事務所を最後に出るのはだいたいがK氏で、部屋に鍵をかけて帰宅の途につくわけだが、最初の日、K氏は日本での習慣どおり電灯とエアコンのスイッチを切って帰宅したのであった。あいにくとその日は金曜日で、月曜日の朝社員が出勤してくると事務所はまるで蒸し風呂の有様であった。エアコンのスイッチを切って帰宅したK氏が皆に恨まれたことは申すまでもない。エネルギー事情に余裕のあるアメリカでは、無人の週末も事務所のエアコンを切らず、冷房したままで月曜日の朝を迎えるという習慣を、駐在員のK氏は知らなかったのであった。□