tokyokidの書評・論評・日記

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随筆・駐在員今は昔(その七)【EWJ080101掲載原稿】

tokyokid2009-03-16


駐在員今は昔(その七)

 戦後22年経った昭和42年(一九六七)に初めてアメリカにきて、日本企業の橋頭堡を築くべく活動を始めた30代半ばの男があった。ここでは仮に「J氏」としておく。この頃は日本の目先の効く企業、海外に人を出すゆとりのある企業は、すでに市場としての大きな可能性をみて開拓を始めていた時期であった。J氏も社命で「アメリカの市場調査」を目的として、アメリカに派遣されたひとりだった。
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 生れて初めてニューヨークの土を踏んだJ 氏、サンフランシスコから直通の便でケネディ空港に着いた。昨日皆に見送られて出発した東京・羽田空港とは大違い、エアラインごとにターミナルの建物が異なる。違う航空会社の便への乗り換えには離れたターミナルに移動しなくてはならない。J氏はこのあとロードアイランド州に向うことになっていたが、出発の時間までに数時間ある。それでともかくもその時間を利用してマンハッタンを見ておこうとJ氏は思い立った。国際線ターミナルを出て、幸い旅行カバンはひとつしかないし、イエローキャブのタクシーに乗り込んで「マンハッタンに連れて行って、5番街を走って、またこの空港に戻ってきてくれ」と運転手に命じた。おのぼりさんよろしく、タクシーの車内からキョロキョロと見物を終えたJ氏は、運転手に「それでは空港のどのエアラインのターミナルに戻りますか?」と訊かれてグッと詰まった。次は何航空会社の便に乗るか、うろ覚えだったからである。それで見当をつけて「アリゲータ(鰐)・エアライン」と胸を張って答えたところ、運転手はプッと吹き出した。「そういう航空会社はありません。多分アルゲニー・エアラインでしょう」と言ってそのターミナルに連れて行ってくれた。「アルゲニー」とはニュー・イングランド地方に勢力を張っていたアメリカ・インディアンの一部族の名前で、それをその地域を飛ぶ航空会社が自社の名前に取り入れていたとは、まだ当時J氏の知識には入っていないことだった。その後この航空会社は合併されて、いまはUSエアと名前を変えている。
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 市場調査を開始したJ 氏は、まずは自社製品を買ってくれそうな得意先の目星をつけなくてはならないと考え、その見込み客を実際に訪問してみることにした。将来の代理店を希望するアメリカ人と中西部のアイオワ州のある見込み先を訪問したときのこと、当時のガソリン・スタンドが無料でくれるアイオワ州の地図をもらって見て、J氏は地図に描かれた地方道がすべてまっすぐ直線であるのに気が付いた。「多分これは地図だから、便宜的に道をまっすぐに描いてあるだけだろう」と多寡をくくったJ氏だったが、行けども行けども見渡す限りのとうもろこし畑の中の道は、多少のアップダウンはあるにせよ、高みに登ると下りはまた「まっすぐの」道が続いていて、アメリカの広さに肝をつぶした。まっさきにJ氏の頭にのぼった疑問は、ついこの間まで日本はアメリカと闘ってその物量に屈して敗戦を迎えたわけだが、いったい当時の日本国の指導者は、このアメリカの広さを知っていたのだろうか?ということであった。その後テキサス州カリフォルニア州を実際に見てまわるにつれて、J氏のこの疑問はますます強くなっていった。□
【EWJ はハワイ州で発行の情報誌 East West Jounal のこと】