tokyokidの書評・論評・日記

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書評・おばあちゃんたちの株式投資大作戦

tokyokid2008-09-01

書評・★おばあちゃんたちの株式投資大作戦(ビアーズタウン・レディース投資クラブ編・土井定包訳)日本経済新聞社

【あらすじ】
 米国イリノイ州ビアーズタウンの16人のおばあちゃんたちが、自分たちの「投資クラブ」を立ち上げ、株式投資に取り組み、大きな成功(年率23%以上の投資収益)を収めることができた、という物語。原本は1994年発行。ビアーズタウンの人口は当時6千人ほどであったので、アメリカの典型的な田舎町のひとつということができる。
【読みどころ】
 最初は(投資の分野では)持株の一覧表を意味する「ポートフォリオ」を、本来の言葉の意味であるところの「書類入れカバン」としてしか理解していなかった、株式投資にはまったく素人のおばあちゃんたちが集まって自分たちの投資クラブを作り、自分たちで最良と思われる運営をした結果として、立派な投資実績を上げた実話の本である。この本が書かれた頃を境に世の中は大きく転回し、アメリカでも日本でも、いわゆるサラリーマンは定年退職後の「老後生活」を支える資金を、それ以前の「企業からもらう退職金」や「国による年金」だけに頼るのではなく、各自の才覚で準備しなくてはならない環境に追い込まれることになった。ひとつには人口構成の変化やインフレや需給人数の増加により、相対的に減少した支給金額が老後の生活を支えるにはとても足りなくなったという現実が、世の中の動きをその方向に向かわせたのだ。そこで考えられるのは、組織的には「401K」であり、個人的にはこの本の内容が少なからぬヒントを与えてくれるところの「株式投資」である。投資の種類としては、安全性の高い順から「銀行定期預金」「銀行普通預金」「投資信託」「株式投資」「商品取引」などがあり、さらに投資の形態としては「現物取引」「信用取引」「先物取引」など多岐にわたる。さらに時間的にみれば「長期投資」「短期投機」などと区別することもできるだろう。この本は、株式投資の本道とも王道とも言うべき、企業の将来性を衆に先んじて見出し、まだ株価が安価なうちに買い込んでおき、長期保有に徹し、時間が経って世間がその企業の実力を認めて株価が上がるのを待つ、という基本方針に徹したおばあちゃんたちの「投資大作戦」の物語なのだ。
【ひとこと】
 本書の本文は「第1部・投資クラブを作ろう」「第2部・私たちの投資大作戦」「第3部・私たちの戦果と自己紹介」の3部からなる。ほかに興味を引くのは、巻末に「ビアーズタウン・レディース投資クラブ・パートナーシップ規約」が収録されていることだ。複数のメンバーを集めて投資を図ろうという日本人はそう多くないと思われるが、さすが民主主義・個人主義の本場のアメリカでは、ありふれたケースなのだ。単純なこのことがじつは日本ではなかなか実現するのが難しいことなのかも知れない(実際日本には、毛利元就の三本の矢の故事があり、なにごとも一人でやるよりは多数集まってやるほうが効果を上げやすいことは分っているはずなのに、必ずしも現実はそのように動かない日本と、そのほうがいいと分ればためらいもなくその方向に動いてしまうアメリカとの差は、あらゆる経済活動を研究する者にとって重要な研究項目になり得ると筆者は確信する)。肝腎の「投資作戦」については、私ども部外の個人にも参考になる事例が、主として「第2部」にたくさん書いてある。たとえば「株式市場を見る目」「基本用語と相場表の読み方」「アニュアル・リポートを丹念に読む」「さあ、実際に投資してみましょう」「銘柄選びにはこんな方法があります」「株価の適性水準を知るやさしい方法」「いつ売るか、それが問題です」「再投資こそ力なり」などの各章を熟読することによって、株式投資にはかなりのベテランであると自任する人にでも、本書にはいい投資のヒントがたくさん散りばめられていることを実感することができるだろう。基本は時代を超えて正義たり得るのである。そしてこの「おばあちゃんたちの戦果」をよく確認してほしい。そんじょそこらの投資プロフェッショナル顔負けの実績を残しているのである。もっともそのためには、おばあちゃんたちは、自分たちの労力と時間を、投資収益を最大にするという目的に向かって、愚直なまでに最大限に注ぎ込んでいるのであって、この点によくよく注目する必要がある。
【それはさておき】
 この日本語訳本の奥付には「1995年11月13日・1版1刷」とある。本書はもう13年も前の本なのだ。この本が書かれた時期は、まだインターネットが普及しておらず、いわゆるパソコン・ソフトの普及版・マイクロソフト・ウインドウズ95の発売前であった時期であることに留意する必要があるだろう。当時はようやく携帯電話が業務用として大会社の経営層ぐらいには行き渡り始めた頃で、いまのような「ケータイ文化」はまだ形成されていなかった。株価の指標として使われる「ダウ工業平均」を参考にしながら株式の投資収益をいうなら、1995年9月1日の時点では約4千6百50ドル、現在2008年8月末では1万1千5百ドル近辺である。筆者の実感では、平時のインフレ率は10年で1.5〜2倍程度(政府発表は年率4%台・アメリカ)だから、13年間のインフレ率を大雑把に2倍と見積ると、ダウ工業平均からみた13年間の株式投資はこの間約247%(約2.5倍)となり、充分に引き合ったことになる。インターネット時代のいま、極端なことを言えば秒単位で株式売買を繰り返す「デイトレーダー」が存在するが、企業の将来性に投資するというこのおばあちゃんたちの投資哲学からすれば、デイトレーダーは「投機家」と呼ぶべきなのだろう。
【蛇足】
 本書を読んでつくづく思ったことが日本とアメリカの法制度の違いである。それは不特定多数の人数が集まって「投資クラブ」を作ろうという、このおばあちゃんのケースでみるとはっきりすると思う。アメリカで多くの人数からおカネを預って運用する投資クラブを作るには、連邦や州の規制がある。これは投資クラブ内の無用の混乱や争いごとを避けるためには必要な措置なのである。いわばおおやけの法律は国民の便宜のためにできている(場合もある)のがアメリカなのだ。それに反して日本の法律は、あれはいけない・これはいけないの大合唱で、行政の都合のためだけに(としか思えない)法律が出来上がっている感が否めない。行政は公僕として国民に奉仕するのが当り前であるのに、いったいこれはどうしたことか。またこの事実を目前にして声を挙げない日本の国民性にも疑問が残る。筆者の率直な感想をいえば、アメリカの投資クラブの結成は、日本でメンバーを4人集めて「さあ、マージャンをやろうか」という程度の、ごく気軽な、しかしおカネのかかった趣味のクラブを作るくらいのことなのである。日本で投資クラブが発達しないのは、いつも他人の視線を気にしながら生きているわれわれ日本人の生活仕様と、自分のできることだけしかやらないし、他人はそれを無条件に受け入れる土壌を持つアメリカ人の生活仕様の差であろう。でももしかしたら、これから日本でもこのおばあちゃんたちが行く道を示してくれた「投資クラブ」が発生し、発達し、発展するのかも知れない。そうしなければ、これからの老後の生活は政府も企業も誰も見てくれないという現実に立ち向かうことができないからだ。でも日本では、本書にでてくる「おばあちゃんたちの株式投資クラブ」を指導した、知識・経験が豊富で、誠実で指導力のある証券会社の営業マン(いまではファイナンシャル・プランナーと称すると思うが)が果たして求められるだろうか。そこが問題である。□