tokyokidの書評・論評・日記

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書評・大日本分県地図之内・青森県全図

tokyokid2008-05-29

書評・大日本分県地図之内・青森県全図(雄文館蔵版)

【あらすじ】
 この当時東京市神田区東福田町にあった「雄文館」発行の「大日本分県地図」は、初版が明治41年(一九〇八)5月の印刷・発行で、本評の底本としたのは、大正14年(一九二五)1月発行の「訂正・復興第三版」である。この東京・神田にあった発行元は、この時から1年ちょっと前の大正12年9月には、関東大震災があったばかりだから、それで「復興・訂正版」なのであろう。明治41年から大正14年といえば、明治維新のあと、日本の国運が最盛期を誇っていたときであって、その社会情勢を反映して、この「分県地図」には、現在の日本地図に見られる都道府県(但し東京、大阪、京都は府、北海道は東部と西部に分割)のほか、「台湾北部」「台湾南部」「朝鮮北部」「朝鮮南部」「樺太全図」「南満洲及関東州」「南洋諸島」が含まれるのは、さすが時代の流れを感じさせる。「一県一枚」の定価は「正価10銭、送料2銭」とあるが、例外もあり、「南洋諸島」と「南満洲及関東州」は各20銭、「樺太全図」は50銭となっている。
【読みどころ】
 底本とした「青森県」の本地図の縮尺は「四十五万分の一」となっており、青森県の地図であるにもかかわらず、県央には大きく「陸奥」の字が見える。同様に隣接の「秋田県」には「陸中」の文字が、「岩手県」には「陸奥」の字が見える。この地図が初めて発行された明治41年の段階では、社会的にはまだ(新しい県名よりも)旧国名のほうが通りがよかったものと見える。また市街図では「弘前市」と「青森市」だけが描かれており、この両市を除いてはすべて郡部である。地図の頁裏には「市町村名公署電信郵便局所在便覧」なる一覧表が印刷してあり、そこにある郡部は「陸奥国東津軽郡」「陸奥国西津軽郡」「陸奥国上北郡」「陸奥国下北郡」「陸奥国三戸郡」「陸奥国津軽群」「陸奥国南津軽郡」「陸奥国北津軽郡」に分かれている。これでみると、当時の「津軽」は、東西南北のほか中津軽郡というのもあり、試みに太宰治の生家のあった「金木町」は、本書でみると当時は「青森県陸奥国北津軽郡金木村」ということになり、同村には警察署の「金木分署」と裁判所の「金木出張所」が置かれていたことがわかる。全国規模で「郡」が姿を消して「町」や「市」ばかりになってしまった現状からみると、「地方分権」などは夢のまた夢、中央官庁の役人どもが既得権を自分らの手から死んでも離すまいと必死の形相で政治家や国民相手にあの手この手を繰り出しているさまが、政治には素人の評者にもひしひしと感じることができる。
【ひとこと】
 大正14年といえばまだ明治維新から半世紀ほどしか経っていなかったのにもかかわらず、鉄道はすでに東北本線が三戸、野辺地から青森へ、さらには弘前から五所川原まで延びていた。下北半島も、野辺地から分かれて大湊まですでに完成していたのであり、維新後の日本がいかに背伸びして西洋の先進国に追い付こうとしたのか、そのひたむきさがまざまざと感じられる地図である。余計なことを付け加えれば、明治維新薩長土肥の手によってなされたから、東京から西に向っては薩長土肥の領地に至るまでの交通機関は優先して設備されたのであり、その点では東北は遅れていたはずなのに、本州最北端の青森にまで、維新後わずか半世紀余りで鉄道網が敷かれていたことに驚きのほかはない。薩長土肥が優先された当時の状況については、鉄道ファンならおなじみの、いまは北九州市若松区にある若松駅が単に「若松」であるのに対して、旧幕軍の会津にあった若松駅が、あとから作られただけに「会津若松」駅と名付けられたことでも明確である。当時から町としては「会津若松」のほうが「北九州若松」よりもはるかに大きかったはずだ。さらにはっきりといえば、会津は錦の御旗を担いだ薩長土肥に冷遇されたのである。これは公平を旨とすべき為政者としては恥ずべき行為であり、その不公平さ、また自党に有利に計らうことが常態となった「薩長土肥」流が、平成の現在に至るまで糸を引いていることは、昨今の政治家や官僚の動向を見ていれば万人に明快であろう。江戸っ子の評者としては、憤慨に堪えない。
【それはさておき】
 こうみてくると、現在の都道府県の区割りは、原則として明治維新廃藩置県以来変わっていないことがわかる。だが現在の地図とくらべてみると、姿を消した郡名、町名、村名などのなんと多いことか。それをまたなんと粗末な呼名に変えた例の多いことか。地名を変えるなら、その土地のいちばん古い地名をもってすべきという意見を評者は持っているが、地名の変遷ひとつをとっても、日本人は自分の文化を大切にしない民族であることを、この「ぞんざいな」新地名の命名法によっても知ることができる。行政が自国の文化を大切にしないで、役人が自己の責任を回避することだけに専念すれば済む現状の日本をみていると、「21世紀は日本の滅びの世紀」の感を払拭することができない。□