tokyokidの書評・論評・日記

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書評・アルミニウム乾式電解コンデンサ

tokyokid2008-04-01

書評・アルミニウム乾式電解コンデンサ(永田伊佐也著)(株)ビジネス・オーム刊

【あらすじ】
 本書は、電子部品の一品種として知られる「アルミニウム電解コンデンサ」、通称「アルミ電解コン」について、技術的な側面から総合的に解説した本である。内容は「コンデンサとは」「電解コンデンサとは」から始まって、その主要材料である「アルミニウムとは」、さらにアルミニウム電解コンデンサの製造に用いられる半製品の「アルミニウム箔とは」や、それらを用いて作られる「アルミニウム電解コンデンサ」の製造方法や、さらに性能や試験方法などにも筆が及ぶ。本書の著者は、当製品・半製品の製造・販売に長らく携わった技術者で、生前はその経歴から、日本における当該製品の数少ない生き字引と言われた人のひとりであったが、先年鬼籍に入った。
【読みどころ】
 一般の人に「アルミニウム電解コンデンサ」と言っても、聞いたこともない、見たこともない、という反応が返ってきてもそれはむしろ当り前のことである。機械部品・電子部品によらず「部品」はふつう自動車、テレビ、電話はては新幹線から航空機や地上管制装置や放送設備などに至る非常に数多くの種類の「最終製品」に組み込まれており、その最終製品を分解しない限り目にすることは稀であるところの、ひとくちに「部品」と呼ばれる一種の製品だからである。ごく簡単に説明すると、「アルミ電解コン」は電子部品の一種であるが、電子部品はふつう半導体チップなどの「能動部品」とコンデンサなどの「受動部品」に分かれ、受動部品はさらにその用途により「コンデンサ」「コイル」「抵抗器」の三種類に大別することができる。「アルミ電解コン」はその「コンデンサ」の一種であり、「コンデンサ」は日本語で「蓄電器」と呼ばれるように、電気を一時貯めておく容器のようなものであって、ほかから電気を供給してもらわなければ電気を貯めることができない。従ってよそから貰って貯めてある電気がなければ、電気を放出して次の作業の役に立つということができないという点では、化学的な作用によって自分で発電し必要に応じて発電した電気を放出して次の作業に役立つ作用をする「乾電池」とは、その点で決定的に異なる。このいわば「知られていない」アルミ電解コンについて、技術的な見地から「かなり技術的な詳細にわたって」概観できるというところが本書の特色である。ほかの機械・電子部品類では、必ずしもこの「概観・通観」が可能な著述がいまだになされているとは限らない事実を指摘することができる。
【ひとこと】 
 いま誰でも、たとえば「自動車」という工業製品に関しては、価格・品質の優れた日本製品が全世界を席巻していることはご存じだろう。日本のトヨタが長らく世界最大の企業として君臨していたアメリカのゼネラル・モーターズ社(GM)を凌いで、世界最大の自動車メーカーにのし上がったのはごく最近のことである(数字の集計の仕方によっては、まだトヨタの世界一は実現していないという説もある)。でも日本の自動車産業を支えたひとつの要素として日本の優秀な部品工業が存在したことは(そしていまも存在していることは)疑いのない事実である。製造業に強いといわれる日本勢でも、世界市場における「部品」の強さはまた格別である。1個何銭(円ではない)で取引される部品も少なくない電子部品業界にあって、設計技術でも研究開発でも品質管理でも価格でも、さらに量産に直接係る生産技術でも、世界における日本の部品産業の優位性は傑出している。航空・宇宙産業で世界をリードするアメリカといえども、日本の部品がなければ、現在のような優位性を保てるかどうか多分に疑問が生じるほどである。だが日本では、ほかの多くの分野において見られる現象と同様、部品業界自身でさえもその強さ・特性というものが必ずしもあまねく認識されているとはいえず、その点で前述の「メシのタネ」ともいえる日本の部品産業の優れた特性・財産をいろいろな形で食いつぶしている事例が見られるのは、日本人としてまことに残念なことである。
【それはさておき】
 かつて日本が誇ったコンピュータ・ソフトの「トロン」は、日米交渉によってつぶされた。昨今の「建築基準法の改正」も、実は複数の他国からの圧力によるものだ、という説もある。さらに部品を含む「工業製品」の基準となる「工業規格」についても、いま中国とアメリカは協力しながら、国際取引に関して「国際基準は国内基準に優先する」という原則・政策を打ち出している、と聞く。すると日本の工業規格である「JIS」が、いかに他国や国際間取引に使われる同種の「精度の落ちる」規格に対して技術上優位であり、競争力があるといっても、その使用が二次的にしか認められないのであれば、事実上日本(製品)の競争力は殺がれてしまう。それこそが(精度の甘い)自国製品でも(優秀な日本製品と直接競合せずに)世界に輸出したい中国とアメリカの狙いなのであろう。だがこの問題は日本で語られることがまことに少ない。したがって日本の国策として「国益を守るための」対策が進められているという話も聞かない。この調子が続けば、前世紀末にバブルがはじけて以後の日本は「技術立国」をめざすというが、それもいつまで続くことやら。□