tokyokidの書評・論評・日記

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書評・白書の白書

tokyokid2008-01-22

書評・白書の白書(編集・木本書店編集部)・木本書店刊

【白書とは】
「白書」とは「政府が発行する実情報告書」と辞書にある(旺文社国語辞典)。同じ欄の注記に語源は「イギリス政府の公式報告書に白表紙が用いられていたことから」とある。本書によると「政府白書33冊のうち基本的データ約七〇〇種を厳選・・・」とあるから、この時点で日本政府は白書33冊を発行していたのであろう。いわばその要約がこの本なのである。
【あるべきよう】
「政府」はすなわち「行政府」である。「立法・司法・行政」の「行政」部門である。その行政各部門が管轄するいわゆる「ナワバリ」についての「実情」をまとめて年一度、外部に報告する。これが「白書」である。行政府の担当者は役人であり、役人の仕事は「国民のために仕事をする・していると称すること」「しかしなるべくは仕事を抱え込まないこと」そして極めつけは「結果について自分で責任を取らないこと」の3項目である。毎年発表される「白書」についていえば、自己の評価に関係ないことは格別として、発行元の行政機関に不利なことは書かないようにしていると考えるのが当然である。ということは、白書に報告されている「実情」なるものは、主として数字によってはいるが、全部が全部ウソであるとは言わないまでも、その内容の取捨選択および解釈については、必要に応じてかなりフィルターがかけられているであろう、と判断することができる。要するに国民としては「行政府にとって都合のいい解釈ができること」を前提として「白書が作られている場合がある」と解釈するのが至当だ。
【使ってみれば】 
 本書の目次には、政府発行の33種の白書の名前がずらりと並ぶ。どのような白書が発行されていたか、以下掲載順に掲げる。「運輸白書」「外交青書」「海上保安白書」「科学技術白書」「環境白書」「観光白書」「教育白書」「漁業白書」「経済白書」「警察白書」「建設白書」「原子力白書」「原子力安全白書」「公害紛争処理白書」「公務員白書」「厚生白書」「交通安全白書」「国民生活白書」「消防白書」「青少年白書」「世界経済白書」「中小企業白書」「地方財政白書」「通商白書」「通信白書」「独占禁止白書」「土地白書」「農業白書」「犯罪白書」「防衛白書」「防災白書」「林業白書」「労働白書」の33種類である。本書には、これらの白書から、木本書店の編集部が七〇〇種類を選択して、編集している。その意味で本書は、日本の政府が公式発表する白書の内容を、各白書をそれぞれ読破しなくても、概括してとらえる役には立つ。
【それはさておき】
 一国の行政府の最大の責務は、国民の生命および財産の安全を図ることである。するとたとえば、百人の単位で日本国内の各地点から北朝鮮に拉致されたとみられる日本国民の安全は国すなわち行政府により保証されなかったわけであるから、国民の安全を担当する行政府はその責任を全うしなかったことは明らかである。たとえばそのあたりの「実情」が「白書」ではどのように記述されているのか、または記述されていないのか、検証する必要があるだろう。もともとこういう作業は、一億国民がそれぞれ各自でできるものではないしその必要もないから、さしずめ「報道」と「論評」を業とする新聞あたりが取り上げるべきテーマである。ところがその実情はといえば、ごく一部のメディアを除いて、現在の日本の大部分の新聞やテレビは行政府べったりの報道しかしないから、そのような作業を既成のマスコミに期待しても無駄なことである。彼らはややもすれば「お上からにらまれてはあとの仕事に差し支える」ということがあるだろうし、建前はともかくとして、民間の生殺与奪のひもは行政に握られているのは自明だから、なかなか既成のメディアとしてはやりにくいことはわかる。でも国民の立場からいえば、日本の情報公開がまったくといっていいくらい進んでいない現状では、たとえ不完全であってもこれらの「白書」に情報源を頼るほかはなく、誰かがこの仕事をしてくれなくては困るのである。こうしたことが、たとえば「国民の福祉を図る」ことを旗印に掲げる政党、たとえば共産党社民党の機関紙などでなされているなら、これは評者の不明の至りである。本評の底本はずいぶん前の平成9年4月に発行された。願わくば、いま問題の社会保険庁の年金の支給洩れや防衛省その他広い範囲の諸官庁でみられる深刻な汚職など、国民的大問題になっている諸項目についても、いちいち「白書」が作られて国民に実情が報告されることを望む。たとえフィルターがかかっていても、なにもないよりはある方がマシだからである。
【蛇足】
 日本政治の2大欠点は、(1)情報の開示がなされていないことと、(2)汚職が多すぎることである。政治家や官僚だけが日本人のすべてではないから、これらの事実は、日本人の民度を反映して余りないところなのである。つまり全体としての日本人の品性が下劣であれば、その一部を構成する政治家や官僚の品性も当然下劣になる、ということである。一部の国民が偽装したり脱税したり高齢者をだます商法をしていながら、いかに指導者層であるからと言って、全部の政治家と官僚に聖人君子の行動を期待すること自体ナンセンスなことである。この点から日本を改造しなくてはならないが、1億の民の品格を一定の基準以上に引き上げるためには、百年かけても事を成し遂げる覚悟が必要だろう。とまれ、情報開示の点からだけ考察すれば、欠点だらけの白書類でも、有るは無きに勝る。行政府から毎年これだけのデータが出てくるのだから、これを正面からでも背面からでも、上下裏表からも、行間の意味から紙背を徹してでも、重々吟味・検証して論説を加えるのが正統のマスコミの大切な仕事であろう。どこかに猫の首に鈴をつける白鼠はいないものか。そしてその事実を国民に知らしめる走狗の役を買って出る人はいないものか。□