tokyokidの書評・論評・日記

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書評・値段の風俗史

tokyokid2008-01-08

書評・★値段の風俗史(正・続・続々・完結)・朝日新聞社週刊朝日編)

【あらすじ】
 副題に「値段の(明治・大正・昭和)風俗史」とある。もともとは週刊朝日に長期連載された記事を4分冊の形で単行本にしたものだ。週刊誌上の掲載期間は、一九七九年(昭和54)十月五日号から、一九八三年(昭和58)十二月までの四年三個月、回数にして二百十八回、つまり二百十八種の品物やサービス、公共料金などを扱った、と「完結」篇の「あとがき」にある。週刊誌という媒体のもつ性格上、一回一回が読み切りで、しかも週刊誌読者の興味を絶えずつなぎとめておかなくてはならない。そういう理由もあってか、一回分の記事は商品ごとのテーマを決め、それに著名人がコメントを寄せる、という形になっている。これがたまらなく面白い。たとえば「正」篇の目次から拾ってみると、「アンパン」を(日本で初めてアンパンを製造したキムラヤのご当地・東京・銀座出身の)池田弥三郎、「時刻表」を(“点と線”の著者)松本清張、「汽車賃」を(乗物趣味の)斉藤茂太、「入浴料」を(浮世風呂と縁の切れない落語家)三遊亭金馬、「総理大臣の月給」を(正義派作家の)飯沢匡、「ダイヤモンド」を(国民的女優の)高峰秀子、「茶」を(川端康成の“雪国”を翻訳して同書のノーベル文学賞を可能にしたといわれた)サイデンステッカー(この項敬称略)・・・・・などなど、絢爛豪華な顔ぶれが並んでいる。各商品別の記事執筆陣の豪華さとツボにはまった人選が、さすが「天下の」朝日新聞ならでは、と思わせる。本書評の底本は単行本だが、その後朝日文庫にも収録された。
【読みどころ】
「明治・大正・昭和」は、日本の歴史にも残る「激動期」であった。当然この間の経済も激動し、それに連動する形で通貨も物価も激動した。江戸から明治にかけて「両・分・朱」から「円・銭・厘」へ、敗戦後の超インフレで現在に続く「円・銭・厘」の「銭と厘」を切り落して「“新”円」へと、わずか百年間の日本の歴史の激動ぶりは、通貨や物価の変遷からも考察することができる。ところがこの間の物価の動きの総括的・通期的な記録は、本書を除いて、それまでほとんどなかった。それを読物の形であれ、週刊朝日が残した功績は大きい。だから本書は「読物」として面白いだけではなく「データ」としても充分に活用価値がある。
【ひとこと】 
 本書「正」篇に「そば」が取り上げられている。記事は「水上勉」だ。それによると「そば」の値段の変遷は「明治元年・5厘」「明治31年・1銭8厘」「大正9年・8〜10銭」「(第二次世界大戦参戦前夜の)昭和16年・16銭」「(第二次世界大戦敗戦直後の)昭和24年・15円(銭ではない、円である。百銭が1円!なんというインフレぶり!それもこのときは“麺類外食券”がないと食わせてもらえなかった!それが昭和27年には自由販売になっている)」「(経済高度成長期の)昭和45年・百円」と記載されている。敗戦後の物価の騰貴がいかに凄まじかったか、この「そば」の値段の推移からも想像できよう。本書の表中には昭和20年の敗戦から上記の昭和24年までの「そば」の値段の記載がないが、これは戦前あれほど全国にあった「そばや」が敗戦で営業を継続することができなくなり、この間は「そばや」がなかったからなのである。戦後「いの一番」に外食産業として復活したのが「そばや」であったことが、当時食うや食わずであった評者の脳裏にも、当時の町の風景とともに深く刻みつけられている。水上勉も記事のなかで「また腹をへらしてばかりいたので、そば屋の看板はよく眼についたし、眼についても、銭がなかったので入れなかったかなしみがいまも濃い」と書いているが、これは当時の(悪事を働いていなかったところの)大部分の日本国民の感想と同じであっただろう。
【それはさておき】
 評者は第二次世界大戦が始まってすぐの昭和17年(一九四二)4月に小学校に入学した。当時自宅は東京・品川区にあり、学校は渋谷区にあったから、省線(その後“国電”、“JR”と呼名は変ったが)と市電(同・“都電”)を乗り継いで電車通学をしていた。親は定期券の裏に「50銭札(円ではない)」を一枚折り畳んではさんでくれ、どうしても必要なときにだけ使え、欲しいものを勝手に買ってはいけない、と言い聞かされていた。それが戦争も進んだ小学校2年生か3年生のときには「1円札」に増額されていたことを思い出す。当時は子供のことで、なんとも思わなかったが、戦時中もインフレが大幅に進行していたのであろう。親は有難いものである。「親孝行したい頃には親はなし」、親孝行は親のあるうちにしなくてはならない。江戸の落語は「墓に布団は着せられず」とうまいことを言った。□