tokyokidの書評・論評・日記

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書評・和英辞典

tokyokid2007-10-21

書評・和英辞典

(1) 新リトル英和・和英辞典・1988年第四刷(ただし「英和」「和英」部分ともそれぞれ「第5版」となっており、合本されものが上記第四刷)・研究社(監修・竹林滋、中尾俊夫)
(2) 和英中辞典・1991年重版・旺文社(編者・長谷川潔、桃沢力、堀内克明、山村三郎)
(3) 新和英大辞典・第四版(1982年第8刷)・研究社(主幹・増田綱)

【英和辞典とは】
 日本語の言葉を集めて「ひらがな」による五十音順に配列し、漢字表記を加え、同音異義を明らかにしたうえで相当する英語を解説した辞書。なお書評には直接関係ないことながら、当項で取り上げる「和英辞典」3種類は、先項で取り上げた「英和辞典」3種類と同じ種類であることを書き添える。
【あるべきよう】
 和英辞典としての「あるべきよう」は、まず必要な日本語の言葉を集め、それに対応する英語を正確かつ的確に示したものであらねばならない。「英和辞典」の項でも述べたことだが、語彙が豊富でなくては辞書の意味をなさず、その度合はその辞書の使用者の使用目的に沿ったものであることが望ましい。この場合、「使用者」は学生、学者、一般社会人などに分類することができる。また「使用目的」は、学習、研究、調査などに分類される。「使用目的」はさらに「医療」「機械」「電機」「化学」その他たくさんの特殊な分野を含んで細分することができるが、ここでは対象を「一般用」の辞書に限定することとする。
【使ってみれば】 
(1) は学生用である。たまたまこの辞典は「英和」と「和英」が合本になっていて、その分部厚くなってはいるが、学習用としては使い勝手がよい。一冊で英和と和英辞典として使えることはもちろん、漢字表記を思い出せないときに和英で引いて漢字を確認することができるのも便利なところだ。しかし合本になって、表紙裏・裏表紙裏それぞれ見開き2頁の色刷り世界地図を除いては、英和部分の不規則動詞表、略語表や和英部分の米英綴り対照表、年号対照表、度量衡表、寒暖計比較表などが省かれて、それぞれ辞書の本文部分のみとなってしまった。まことに不親切なことである。これらの1988年第四刷版からは省かれた項目は、手許にある同じ辞書の1861年版第2版第14刷には含まれており、理由はなんであれ、改版された新しい辞書では多分に不親切な削除がなされたといえる。
(2) は約1千8百頁の和英「中」辞典である。「机上版」の大きさである。この辞書の収録語数は約7万語。面白いのは「枠囲み記事」があることで、索引では「?テーマ・分野別関連表現(「味を表す言葉の訳し方」など約50項目)」「?重要動詞シソーラス(「会う・遭う」など「重要動詞の用法とニュアンスの詳解」約70項目)」「?日本の風物の英語説明文例(「合気道」など約120項目)」が掲載されていることだ。一般的に読みやすい活字が使ってあるのは助かるが、頁数が各頁最上段の真ん中に表記してあるのは、使用者が頁をめくるときの行動によっては不満が残る人もでよう。この点は評価の分かれるところである。
(3) は我が国最大の英和辞典の一種とされる大辞典である。約2千1百頁に見出し語約8万、合成語・句16万、例文5万、内容は第3版にくらべて約33%増し、とある。辞典もこれほどの大冊になると凡例、付録ともに充実している。ちなみに「付録」は「世界主要人名」「世界主要地名」「東アジア史関係要語」「世界の名作」「通信・書式・広告文例」「英米政府機構一覧」「英米(日)軍人階級表」「漢字中国音表記法」「各国通貨一覧」「英米度量衡表」「度量衡複式換算表」が盛り込まれている。
【それはさておき】
 和英辞典はほんらい日本語の言葉に相当する英語を引くための辞書であるが、前項(1)に記したように、日本語でも忘れてしまった漢字表記を引くという本来の用途からは外れた使い方もあった。でもこの役目は最近ではすでに「ケータイ」すなわち携帯電話に移ってしまったようだ。いわゆる「電子辞書」として辞典部分をパソコンに取り込み、随時言葉の意味が画面中に別枠で表示されるようになると、辞書の用法もだいぶ変ってくるのではなかろうか。つまり日常の用は「ケータイ」で足し、学習や研究の深い用途に限って紙の辞書が使われるというふうに、使用目的によってケータイも含むパソコンと紙の辞書の用途がすでに分化している。そうなると、かさばんで重量も相当な紙の辞書の居場所は、これからはいよいよ狭まっていくことが予想される。ということは、英語など外国語の学習方法もおおいに変ることが予想される。評者が実際に経験したことだが、いまの大学生に聞いてみると「はばかり」は知らなくても「パウダールーム」ならわかる(どちらも「便所」のこと)というふうに、日本語と英語の境界が非常にあいまいになってきた。すくなくとも(構文の場合はともかく)単語では大勢がそうなりつつある。第二次世界大戦の敗戦から半世紀以上が経って、日本語を含む日本社会が大転換する場面に差し掛かったのではないかという気がする。□