tokyokidの書評・論評・日記

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書評・英和辞典

tokyokid2007-10-07

書評・英和辞典
(1) ニューリトル英和辞典・第一版十三刷・研究社(主幹者・市河三喜
(2) 英和中辞典・旺文社(編者・旺文社)
(3) 新英和大辞典・第五版・研究社(編者代表・小稲義男)

【英和辞典とは】
 英語の言葉を集めてアルファベット順に配列し、発音記号を加え、品詞・語釈・用法などを日本語で解説した辞書。
【あるべきよう】
 英和辞典としての「あるべきよう」は、まず必要な英語の言葉に対応し、語釈する日本語に正確であらねばならない。語彙も豊富でなくては辞書の意味をなさないが、その度合はその辞書の使用者の使用目的に沿ったものであることが望ましい。この場合、「使用者」は学生、学者、一般社会人などに分類することができる。また「使用目的」は、学習、研究、調査などに分類される。「使用目的」はさらに「医療」「機械」「電機」「化学」その他特殊な分野を含んで細分することができるが、ここでは対象を「一般用」の辞書に限定することとする。
【使ってみれば】 
(1) は学生用である。本文は五百頁弱。それに「略語表」「と「不規則動詞表」がつく。「最小限のスペース」が売りもので、携帯性がすこぶる良く、その割に学生用としては充分な数の英語が収録されている。これの和英版もあり、さらに両者を統合した英和・和英版もあるが、当然本の厚みは2倍になる。これらは気軽に持ち運べ、何冊でも家のなかの定位置に置いておけば、必要な都度手に取って見ることができる点が好ましい。
(2) は2千頁を超える英和「中」辞典である。いわば「机上版」とも呼ぶべきか。?にくらべて、随所に学習のためのいろいろな工夫が目立つ。この辞書の収録語数は約10万語。英語学習初心者にとって有難いのは「特に重要な語」に星印を付けて学習の目安にしていることであろう。最重要の三つ星は約1千5百語で中学程度、二つ星は約4千5百語で高校程度、一つ星は約6千語で大学教養程度、と説明にある。してみると、一応の英語力の基礎学力としては、これらの星のついた計約1万2千語程度の語彙が最低限度必要ということだろうか。この規模の辞典としては当然の処置として、無慮百人を超える「編集・執筆協力者」と「主要参考文献」が明記してあるほか、「凡例」「発音解説」「可算語と不可算語」「文型解説」「語源解説」などの項目が先立ち、必要に応じて図版や写真版を使った2千頁を超える主体の辞書部分のあとに「付録」として「英語の歴史」「英語のことわざ」「英語参考図」「英国の新州名」「重要接頭・接尾辞」「米英年中行事」「米英分化史年表」「不規則動詞変化形一覧」ときて最後に「度量衡換算表」がついている。辞書部分もさることながら、前後の「解説」や「付録」部分を読むことによって、より一層英語の背後に存在する英米文化を概観することができ、英語に対する興味を掻き立てるほか、見聞を広めることにもなろう。
(3) は我が国最大の英和辞典の一種とされる大辞典である。約2千5百頁に23万語余りを収録する。これだけの辞書になると、8人の編集者、10人の編集協力者、54人の執筆者、3人の挿絵画家のほかに、専門語校閲者として百四十七人の名前が列挙してある。そのほかに「凡例」「発音解説」「語源解説」と続き、辞書本体のあとに「ラテン語を中心として人口に膾炙した外国語慣用表現約八百」「英訳聖書書名の略形」「発音記号表」と続く大辞書である。必要に応じて配置された略図や挿絵などとともに、収録語彙の豊富さからいって、実用に差し支えない堂々たる規模の英和辞典である。この程度の大型版になると、(辞書としては)使用されている活字も大きく、読み易いので、とても使い易いと感じるが、その分あまりにも大冊なので、携帯性には欠ける憾みが残る。
【それはさておき】
 私どもが第二次世界大戦の戦後、義務教育の中学一年生で正式に教科の一として英語が週5時間教えられることになった。21世紀に入って、日本では小学校高学年から外国語教育の一環として、英語を教科に採用する学校もでてきたと仄聞するが、これが事実とすれば、評者は次の2点の理由で、小学生への英語教育に反対する者である。
 まず(英語を含む)外国語教育は、当人が母国語である日本語をかなりな程度で使いこなせるようになってから実施しないと、肝腎の「概念」の集積と展開が不充分に終ってしまう危険性がある。言い換えれば、自分の言いたいことを明確に定義・提示することが、日本語でも英語でもできないことになってしまうだろう、ということである。
 その結果、当人は「母国語である日本語でも外国語である英語でも」ともに自分の思想を持ち得ず、言葉以前に必要な基本的知識や描写方法が不足してしまい、元来「概念」を表す手段である「言語」能力が不足してしまう。
 つまり?の項で説明した、英語として一定のレベルを達成するために習得必要な英語の語彙約1万2千語は、小学生から英語の授業を始めれば達成できる目標なのだろうか。日本語の常用漢字がたったの2千字しかなく、いま日本人の漢字力の衰退が問題になっているこの時期に、わざわざ日本語を横に置いてまで年少者である小学生に外国語である英語を、それも一律全員に習得させる意味はいったいどこにあるのだろうか。小学生なら、いずれでもいいが上記の英和辞典を引いてみて、そこに説明されてある日本語の解説を拳拳服膺することができるのだろうか。評者は小学生にはとてもできるとは思えないので、小学校から全員に英語を教えるなどということは、人生の時間と能力のムダ使いというほかはないと思っている。英語(を含む外国語)は必要な者が必要に応じて、必要な時に習得すればいいのだ。
やはり「並の」人間はまず母国語を磨き、然るのちに外国語を習得するのが順序というものであろう。たとえば幼時から親について外国に居住する機会を与えられた幼児が、家では母国語、外では(その居住している国の)外国語を自然に習得するような特殊なケースを除いて、まず日本国内で生活しながら小学校で週何時間かの僅かな時間内に、たとえ教師がその国の外国人であろうとも、日常使いもしない外国語を、小学校の生徒が実用になる程度に習得することができるとはとても思えない。
 なればこそ、従来は母国語である日本語の能力がある程度以上に達するであろうところの中学生になってからの時期を選んで外国語教育を始めたのである。そして日本語を基礎として外国語のたとえば英語を習得するには、上に挙げた「英和」辞書は、学習のための必須品目なのである。□